いつも気に掛かる言葉に「東京は歴史が浅いから」と言う人が居ます。本当に江戸、東京は他の都市と比べて歴史が浅いのでしょうか?京都、奈良は別格としても、連続した歴史を持っている都市は少ないはずです。

東京の歴史が浅いと言う人には歴史感覚の欠如があります。東京は明治維新後に事実上の首都となったのであり、それ以前は首都ではなくローカル都市だったのではないかと思い込んでいること。政治的な首都と、実質上の首都的な役割を果たす都市が違う都市は幾つもありますよね。ワシントンとニューヨーク、ブラジルとリオデジャネイロ、キャンベラとシドニー。江戸時代の日本では天皇のいる京が首都で、政治経済の中心が江戸でした。しかし江戸の場合は人口も多く経済の中心でもあった所に国内政治を決定する幕府が江戸に置かれていたのですから、政治機能が集められ分離された外国のこれらの都市よりも首都的であります。

江戸は江戸時代にすでに人口が100万人を越える世界一とも言える人口を抱えるの大都市であったこと。成熟した都市文化を持っていたこと。これらを無視して、田舎町に薩長の政治家や官僚が新たに町や文化を築いたと勘違いしているもの。

いま一つは、何もない原野に徳川家康が街をつくったと思い込んでいる人々。確かに徳川家康が江戸を本拠地に定め、天下の総城下町として開発したことが現在の東京の発展につながっていますが、何もない原野を開発したのではないのです。

江戸が地名として確認されるのは平安時代の末期。その頃から江戸はあったのです。江戸は浅草や品川と並んで物資の集まる湊町として栄えていきました。関東一の大福長者と呼ばれた江戸氏の居館があり、江戸氏が衰退した後は、その居館があった場所に太田道灌が江戸城を築きました。。その後、北条氏の支配を経てから徳川家康の入府を迎えます。これらの事実からしても江戸に歴史があり、徳川家康入府以前は暗黒の原野ではなかったことが分かると思います

大道寺友山が著したものに江戸城は雨漏りのするボロ屋で、江戸は何もない場所だったと書かれているものを見て、家康以前の江戸が何もなかったかのように思う人も多いでしょう。しかし大道寺友山が生まれたのは家康が江戸入府を果たした50年後です。家康が江戸入府した頃の江戸は見ていないのです。北条氏の支城となって、秀吉の小田原征伐後に荒れ果ててたとはいえ、そんな無人の荒野のようになるのでしょうか?大道寺は兵学者として身を立てるために幕府にヨイショしなければならず、徳川家康や江戸幕府がいかに江戸を発展させたのかということを強調したのではないかと思います

これで東京(江戸)が明治や江戸時代にぽっと出てきた街ではないことを理解してもらえたかと思います

各地の街も江戸と同じように歴史はあっても、現在の発展の元は江戸時代にあるのです。

大阪も歴史の古い街で、古代には都が置かれましたが、古代から連続していたわけではありません。現在の発展して商都となっているのは、本願寺の寺内町として発達し秀吉の天下政権の本拠地となったこと。いったんは没落しますが、徳川政権は経済の中心地として大坂を選んだことによります

福岡は博多が中世以前からの商業都市として栄えますが、戦国時代に争奪の的となり破壊されつくしてしまいます。それを復興させたのが秀吉で、その隣に黒田長政が新たに城下町を建設し、故郷に因んで岡山県福岡から地名を取って「福岡」と名付けました。

静岡市は駿河国の国府駿府、甲府市は甲斐国国府古府中、大分市は豊後国国府府内がベースになっているものの、現在の繁栄はやはり江戸時代の城下町になったことによると思います。東北随一の都会仙台も伊達家が江戸時代に本拠としたこと、北陸の古都的雰囲気を残す金沢も、江戸時代に前田家100万石の本拠となったことによります。中国地方随一の広島もまた然り。

江戸だけが殊更に歴史が浅いわけではないのですよ

歴史のある地方や、歴史のある都市の方は東京(江戸)は歴史が浅いからという人がいると思います。しかしそうではないということを教えてあげて下さい。関東に住んでる方でもそのようなことを言う方がいて驚くのですが、東京出身者でも自嘲気味に「東京は歴史が浅いから」なんて言う方が言うのにはびっくりさせられます。自分の故郷の歴史は正しく知って欲しいものです。