アド街で「山谷」が取り上げられていた。ちょっと前なら「山谷」というと忌まれて取り上げられなかった地域名だ。山谷への抵抗感が無くなってきていることを感じることができる


江戸時代の「山谷」は江戸NO.1の高級料亭があったり、吉原通いの粋人が通る場所で今のようなイメージは無かった。ただ千住宿の末端で安宿があったことが今に至る伏線になっていたのでしょう


明治以降は隅田川の舟運や川沿いの工場で労働力を必要としたために労働者も集まってきたでしょうし、現在のようなドヤが形成されたのは戦後になるでしょうね。


以前はいろいろな意味で活気があったと思います。暴動が起きたり、道路をうろうろと信号お構いなしで人が横断していたり、そこかしこで酒盛りや焚き火が行われていたり、ある意味別世界のようでした。山谷だけがドヤ街というわけではなく新宿にも渋谷にもあったし、私が子供のころにはあちこちに怖い街ってあったと思う。


日本が豊かになるにつれドヤは姿を消して、東京では山谷が唯一のドヤ街と思われるようになりました。その山谷も様変わりしてきて、立ち飲み酒場がセブンイレブンになったり、ドヤがビジネスホテルのようになったり、外国人バックパッカーの姿もかなり目に付くようになりました


ドヤで暮らす日雇い労働者もお年寄りが多くなったように思えます。寿町や西成のようなパワーは感じられなくなりました。山谷も様変わりしてきているのだと思います。違った意味での聖域が東京からなくなったような気もして寂しい感じもあるのですけどね


山谷というと貧民街のような誤解や偏見を持っている人が多数いることも存じております。そんな人ほど山谷を歩いたことが無い人ばかりですね。山谷にはドヤが集中していますが、そうではないお店や、住宅もたくさんあって、様々な住民が暮らしていること。


テレビで取り上げられたからといって、気軽に散歩にきたら、道端で酒盛りしてるおぢさんに肝を冷やすかもしれませんが、それは山谷の中の一部の姿。イメージアップにつながってつまらない誤解や偏見が無くなればよいかと思っています


インターネットのコミュニティで山谷散歩を取り上げたものに参加をしたことがあるのですが、興味本位で、面白半分に「怖い街」という言葉を連呼していたことに怒りを覚えたことがあります。今後、この方面で散歩などの企画をする人は、面白半分ではなく、地域に愛着を持って企画して欲しいと思いますよ


東京への日本人観光客、外国人バックパッカーも増えているので、安宿特区のような町興しはできないかな?荒川区でも、日暮里はスカイライナーの乗換駅、隣接する山谷は外国人観光客も宿泊しています。日暮里か南千住汐入に、やはり外国人が安く宿泊できる施設や日本の文化を紹介する施設を建設できないものでしょうかね。荒川区は外国人の東京や日本での玄関口でもあるわけだから、この好立地を手をこまねいて見ているのはどうなんでしょう


しかし街を紹介する番組で「山谷」として取り上げられることは驚きでしたが、街の本当の姿、良いところを知ってもらう上では良い機会だったのかもしれませんね