コミカレの話ばかりですみません。震災の影響で毎週コミカレがあるもので。今回の講座はとらわれない生き方をしようという講座でした。抽象的なタイトルだったのでどんな内容かと想像もつかなかったのですが差別に関する話でした

地域、社会活動の実践的な講座が進んできた中で、なぜここで差別の話になるのか唐突感はあります。もっと初歩的な話をしていた、コミカレ1年次前期でも良かったのではないかなと思ったり。清掃局の部長が講師ですが、区における差別問題のスペシャリストかな?ゲームを盛り込んで無意識の中に人間は選別意識を持つことなどを実践して興味深かったのと、講師が、自分の子供を意識無く呼んだ愛称が、実は子供を傷つけていたという話で、親の情にホロッときたり、何気ない言葉が相手を傷つけてしまう啓発にもなっており勉強になりました

差別問題ということは私の法人でも取り上げました。地域差別、ハンセン病の差別、性別や外国人差別、職業差別など。いわれの無い差別は根絶していかねばならないと心から感じております。人間は生まれながらにして差別意識を持って生まれてくるわけではなく、差別というものは周囲によって植え付けられる後付けの感情なので、差別は無くすことが出来ると思っています。しかしながらこの問題は人間の根幹に関わる根深い問題なので、1回の講義で軽く触れただけでは根底の部分まで触れられないと思います。この問題に触れるのであればもう少し核の部分にまで迫る必要があるのでは無いかな

しかし、本当にコミュニティカレッジで差別に関する教育は必要なのでしょうか?

かつて東京には部落差別や地域差別もありました。それに連なる職業差別もありました。長年かけて行われてきたスラムクリアランスや差別を無くす教育などで区部においては差別を意識することなく生活が出来るようになっています。大人になるまで部落差別という言葉すら知らない。地方における部落、地域差別を目の当たりにして未だにこんな酷いことが行われているのかと愕然とする東京人も多いです。部落差別と聞き、ブラック差別?黒人の人種差別の問題ですかという人もいるぐらい、意識をしなければ地域差別は身近な問題とは言えないぐらいの話になっています

敢えて、寝た子を起こすように、差別問題を掘り起こす必要はあるのかなと思う場合もあります?地域差別など知らなければ知らずに済むこともあるのではないかと思ったこともありました。もちろん知ることは大事なのですが、全てが全て賢明で社会意識の高い人ばかりであるとは限りません。知ることによって新たな差別を生み出さなければ良いなと思う場合もあります

差別をする人間には問題があり是正されなければならないと思います。その逆に差別される側でも、それを利権として利用している限りは差別は無くならないのではないかと思います。もし荒川区で社会教育で差別問題を取り上げるのであれば差別を無くすことや、差別利権を無くすことも併せて教育しないといけないと思います。区の事業のカリキュラムに差別教育を入れ込まなければならないようなことは誰に気兼ねをして決めているのでしょう

我々が地域活動をする上で支障になるのであれば差別に関して学ぶことも重要だと思いますが、一番、とらわれない生き方をしなければいけないのは荒川区自体ではないかと思います

私自身は固定観念にとらわれず自由な発想のもとに生きてゆきたいと常々考えています