珍しく今日 子供達の学校の校長先生から

朝礼(みたいなもの)で話した内容の原稿、が

メールで親にシェアされました。

 

 

 

話のメインは「Nワード」

私も初めて知りましたが

Nigger《ニガー》という もの凄い差別用語を

Nワード、というのだそうです。

有名なFワード(Fuckという言葉をつかうもの)も敬遠されますけど・・・
 

 

 

今回校長先生から来たメールは

「ヒップホップが流行ったりして

もしかしたら もともとどういう意味で使われていたか

知らない諸君もいるだろう

でも私も、もちろん教師全員も

この学校にいるものがその歴史を知らないという理由で

Nワードを使うことは許さないし

わかったら永久停学(つまり退学)させます」という

強い一文も入っていました。
 

 

 

 

そういえば

ウチの息子を最初に転校させた理由も

先生が息子に言ったという

(その先生も学校も認めなかったけど)

Japという蔑称事件でした。

あのとき せめて

こういう話があの校長先生から

全校生徒にされていたら

私たちもこんな苦い思い出にはしなかっただろうにと

ふと、考えてしまいました。

 

 

 

アメリカは 国として傲慢なことをしてきたり

全部が全部 素晴らしいわけではないけれど

私がすごいな、と思うのは

自分の差別の歴史を

ちゃんと受け止め 繰り返すまいとするひとが

大勢いて ちゃんと大声で主張しているところです。

それらの意識をもったひとが教職につくことが多いです。

日本には それはあるだろうか・・・と

ちょっと考えてしまいます。

 

 

 

アメリカが大好き、とはいえないけれど

式典のときは必ず

スポーツの試合の時も必ず

国家を流し 国旗に礼を示し

小学校から1日の最初には

国民としてあるべき姿、を斉唱します。

胸に手をあててね。

それって 当たり前のことじゃないだろうか。

なぜ 日本はできないのだろう。

 

 

 

校長先生の原稿の最後に

また良い事が書かれてました。

(青はともこ訳)

 

 

Language is power… 言葉は 力そのもの。

 

The power to lift up 勇気を与えるものでもあり

 

…the power to strike down… 同時に 打ちのめすこともできます。

 

What you say… you become… 君が発する言葉が 君を作り

 

What we say…we become… 私たちが発する言葉が 私たちとなる。

 

 

 

ほんとに これを「そうだ」と信じている人に

教われる学生たちって 

幸せだと思う。