最近大きな話題となった大統領令とは。
 
テロ対策のために
中東やアフリカの7カ国の国民に対して
(シリア、スーダン、イラン、イラク、ソマリア、イエメン、スーダン)
3カ月間の入国禁止と、難民の受け入れを一時停止する
 
 
というもの。事実上、各地の裁判所が無効と判断しているが
社会への波紋はおさまりようがない。
(大統領令は本当に沢山あって、トランプ氏が出した物も
コレ1つではありません)
 
 
実はこれに前後して
「イスラム諸国(上記七カ国はもちろん)からの移民の
“移民登録”registoryを義務化」という法が成立しそうになりました。
まだ議論の最中ですが
日系アメリカ人社会が猛反発をしました。
 
 
経緯はこうです。
2月19日を Day of Remembranceとして
日系アメリカ人(のみならず ドイツ系・イタリア系アメリカ人でも)が
「この人種差別を繰り返してはならない」と言っていますが
特に日系アメリカ人の有識者の中の認識の一部では
日本を標的に政治が動き始めたのはそれよりずっと以前、開国を迫ったころから。
実際に戦争を視野に入れながら 様々な法や外交政策を始めたのは
第一次世界大戦あたりから、
現実的に「差別」という気持ちを利用して
日系人を追い込む準備を始めたのは
きな臭くなる10年以上前から と理解されています。
そしてRegistoryこそが
彼ら(米国を動かしていた人)の武器になったんだ、という考え方があるんです。
 
 
資源などのなかった日本からやってきた日系1世は
市民権をもらえない、土地建物などを所有は出来ない、など
最初から差別が顕わになった法律の下
勤勉に働き 信頼を勝ち得 少しずつ財を築きました。
 
 
ルールで沢山の制約を受けた1世は
子供達に「しっかり学んで、揺るがない生活基盤を手に入れて欲しい」と
教育に力をいれました。
だから、日系2世には社会にインパクトを与える人や
地域社会のリーダー、知識階層が本当に多かった。
 
 
そんなアタマのいい人達を
突然の法令で 財産没収、強制収容など出来る訳もなく
だから 長い時間をかけて
日系アメリカ人は「取り囲まれ逃げ道をなくされ」てきたのです。
 
 
そのひとつがRegistoryだったのです。
移民は皆 出身やバックグラウンドなどを記録しましたが
日系人には これが強化されました。
(因みにこの頃、中国系のひとは国外へ追い出されています)
 
 
強制収容のときは
全てのひとに「番号」がつけられています。
荷物のように 荷札に個人番号を付けて移動させられた記録は
あちこちに残っています。
 
 
大統領令に「敏感に」日系人社会やそのサポートする人達が反応、
そういう書き方をあちこちで見ますが
当然です、そここそが
じわり、じわりと真綿で首をしめあげるような
過去におこったことのスタートだからです。
 
 
日本人、日系人に「変わらない」ところがあるとすれば
「いや、まさかそこまで考えてないでしょ」
「でも、結局みんな良心があるんだから」と
不必要な楽観視を持ち続け 知ることを避け
(汚いモノから目を背ける、当にそれです)
語ることも避け 波風たてないようにしていれば・・・と
警鐘を鳴らすひとを冷ややかに見ていた。
そして、その「まさか」に
沢山のひとが家族をばらばらにされたのです。
 
 
イスラム社会の人にも同じモノを見ます。
これはイスラムソサイエティのプレジデントも
ソルトレイクエリア代表のDr. Musudも仰っていたことですが
「私達を救ってくれたアメリカ社会がそんな事する訳ないよ」と
ある意味 お人好しに
ある意味 全く無責任に 情報収集もせずに傍観している。
一部の「人種差別攻撃」をうけたひとが
不安で他に相談しても
「大人しくしていれば嵐は過ぎるよ」とばかりに
攻撃されたひとを非難する・・・・
 
 
残念ながら この世は妬みと嫉みと 汚い感情が渦巻いています。
信じていた友人にある日 喉へナイフを向けられることもあるんです。
 
 
経済活動(お金のこと)と差別心は 
とても上手に手をとって働けるものです。
その恐ろしさ、人間ってどこまでも卑劣でひどくなれるということは
残念ながら コレまでの歴史から学ぶ以外ありません。
 
 
 
臭いものに蓋をする、としても
匂いは一次的になくなるだけで
臭い物がなくなるわけではありません。
だから沢山の 有識者というひとが
自分に出来る専門エリアでずっと活動してるんです。
専門的なことは置いておいても
一般人である私達も
状況を知る努力は忘れてはいけない
わたしは 個人的にとてもそう思っているんです。