平成23年7月1日 くも膜下出血発症 | 34歳夫のくも膜下出血体験記~沈黙の不倫から13年~精神科入院中の夫と母子の歩む道

34歳夫のくも膜下出血体験記~沈黙の不倫から13年~精神科入院中の夫と母子の歩む道

2011年7月夫が突然くも膜下出血(グレード5)を発症。その後の不倫発覚…高次脳機能障害(精神科入院中)の夫とこの先どう歩んでいくのか。日々の揺れ動く心を描きたいと思います。娘21歳 息子16歳 妻(私)多発性神経鞘腫という持病持ち。これについても記したいと思います。

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6月30日

 

いつもどおり旦那が帰宅。

 

私が入院中のシュミレーションとして、仕事が終わってから幼稚園に迎えに行くのに、どれくらいの時間がかかるか・・・ということで、旦那が下の子のお迎えに行った。ちょうど18時くらいだった。

 

それから、夕飯を食べ 本当にいつもと変わらない旦那。

 

この時、「頭が痛い」とか言ってたら・・・何かが変わっていたかもしれない。でも何の予兆もなかった。

 

 

21時 子供たち就寝。

 

 

旦那はパソコンをしていた。

 

 

私は、22時からのドラマを見ようと思っていたが、ここ最近の寝不足からか、ソファでウトウト寝てしまった。

 

 

23時10分 旦那に起こされる。

 

 

「痛み無く寝れそうだったら、ちゃんと布団で寝たほうがいい。また夜中、痛みで起きちゃうんだから・・・」

 

そう言われたので、2階に上がって布団に入った。

 

 

 

那はまたパソコンに向かった。

 

 

 

 

7月1日 深夜1時

 

目が覚めた。やっぱり若干背中が痛い。こうなると、もう横にはなれないので(直立してれば痛みが落ち着く)1階に下りる。

 

 

いつもの私の深夜の行動だった。

 

 

しかし・・・

 

 

 

電気が付いてる・・・

 

まだ起きてるのか・・・

 

明日仕事なのに・・・

 

 

階段を下りると、旦那がパソコンの横で

 

 

寝ている?

 

いびきか?

 

寝息か・・・・?

 

何でこんな所で寝てる?

 

ん・・・?

 

 

 

 

 

嘔吐してる・・・

 

 

酔っ払ったか・・・・・?

 

 

頬っぺたを叩いて何度も呼んでみるが、返事がない・・・。

 

 

パソコンの画面が真上を向いている・・・

 

 

 

 

 

 

旦那・・・倒れている・・・・・のか?

 

 

 

 

 

 

嘔吐の後かと思ったが、何やら水っぽく血も混ざっている。口と鼻から吹き出した感じである。

 

尿失禁もしていた。

 

 

 

1時5分頃 

 

急いで救急車に連絡。「冷静に」と思ったが、住所を間違えた事に気づき すぐ訂正。かなり動揺している自分。

 

大変なことになった・・・

どうしよう・・・

何でこんなことに・・・・

 

1時15分頃 救急車到着。

 

この10分は長く感じ、家に入ったり外に出たり「早く早く」と外で叫んでいた・・・

 

1週間前 私が運ばれたときには場所が分からず少し時間がかかったがあの日より 早く着いた。

 

こうなる運命だったのか・・・

 

私はただ呆然と立ち尽くしていた・・・

 

1時30分頃 救急車に乗った。

 

義母に連絡。

 

救急隊員から

「恐らく脳の疾患だと思います。今日の当番医はK病院ですが、脳外が無いので、N病院に連絡してみます」

 

「はい・・・」

 

この返事が精一杯だった。傍から見たら冷静に見えただろうけど、呆然としていた。

 

1時40分 N病院到着

 

旦那の後に付いていきたかったが、別部屋に通される。

 

1時50分 義母到着

 

「頭痛いとか言ってなかったの?

血圧高かったの?

お酒飲んでたの?」

 

義母も動揺している。

 

お酒は毎晩 晩酌していたが、それ以外全く予兆がなかった。

 

「何でこんなことになったんだ・・・」

「何でもっと早く気づいてあげられなかったんだ・・・」

 

別部屋に通されて、どれくらいの時間が経ったのか覚えていないが、先生に呼ばれた。

 

処置室に入り、右側で旦那が横になっている。

心電図の波が荒れている・・・

 

左側に術着を着た先生が座っていた。

 

「くも膜下出血です。かなりの重症です。

神経原生肺水腫も併発しています。

この状態で高齢の方だと、手術は危険なので手は付けれないが、まだ若いのでクリップで留めます。

しかし、再出血する恐れもあるので、かなり危険な状態です。

命の保障は出来ません。」

 

そんなことを言われた気がする。

 

手術に関する書類にサインをした。何枚もあったが覚えていない。

 

2階の家族控え室に通される途中、廊下で旦那に会う。

 

意識がない。

 

髪の毛も刈られ、ひげも剃られていた。

 

「パパ 頑張って」

 

こう声を掛けるのが精一杯だった。

 

3時過ぎ

また先生に呼ばれる。

 

「これから手術を始めます。

時間は6時間から8時間。

危険な状態になれば中止します。

手術が成功しても、搬入時から状態が悪いので、

3割が死亡し、3割が社会復帰・・・」

 

 

とにかく無事に終わって欲しい。ただそれだけだった。

 

 

深夜にも関わらず、近所の友人にメールした。

 

「旦那がくも膜下出血で倒れた 危篤 私これからどうすれば・・・」

 

義母と二人で時間が過ぎるのを待つ。

 

5時頃 子供たち二人を家においてきているので、一旦私だけ帰宅。

朝食を食べさせ、学校 幼稚園に行かさなければいけない。

 

子供たちが驚くので、旦那が吐いた血の後を掃除した。

 

家に着いたと同時に、友人からメール 電話が来た。

 

夢なら覚めて欲しいと思っていたが、やはり現実なんだと

思わず 涙が出てしまう。

 

 

 

 

こんな朝早くにも関わらず 

 

Mちゃんは家に駆けつけてくれた。

 

Eさんは、「何か食べなさい」とパンを持ってきてくれた。

 

Sは、幼稚園のお弁当を作ってくれた。私におにぎりも添えて。

 

M香さんは、深夜にメールした後、すぐに電話をくれた。

 

 

 

みんな心配してくれてる。

 

 

全面的に協力する。

奇跡は起きるから、生命力を信じようと言ってくれた。

 

冷静に冷静に・・・

旦那と仲がいい、職場の先輩に連絡。私の職場に連絡。親戚に連絡。

 

8時過ぎ 病院に到着。旦那の職場の上司が病院に来ていた。

 

手術は続いているようだ。

 

親戚がかけつけてくれた。

 

10時半頃・・・「手術が終わった」と呼ばれた。

SCUの一番奥の部屋で 沢山の管に繋がれていた・・・

 

「何でこんな所で横になってるの?」

「早く仕事に行かなきゃいけないじゃん!起きてよ!」

 

 

何度も旦那を呼んだ。人目も気にせず 声を出して泣いた。

 

 

私の足の麻痺と、こんなことになったしまった脱力感で立ってるのがやっとだった。

 

すると、旦那の左目から 涙が流れた・・・

聞こえているのか・・・

 

 

 

無事にクリップで留めることが出来た と説明された。

意識が戻るかどうかは 分からない・・・と・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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