六十八才になった。
これだけ生きてくると、いくつもの忘れられないできごとがある。
忘れられない理由には「忘れたくないから」というものもあるし、「忘れたくても忘れられない」というものもある。
異常な興奮も記憶されているし、緊張や失敗や、幸福も記憶に刻まれている。
ここ一年くらい、両親のアルツハイマーに付き合っているので、記憶と人間ということを考えたり、感じたりすることも多い。
今日はひとつ、とても幸運な忘れられない出逢いについて書いてみよう。
もう三十五年以上も前のことだ。
日本で初めての全日本スキー連盟によるフリースタイルスキー教程を創るという時の話である。
フリースタイルスキー教程を構想する中心に、教育本部長だった菅先生がいらっしゃったと記憶している。
菅先生から呼ばれ、具体的プロジェクトの中心的役割を任されたのである。
三種目におけるおおよそのページ配分、モデルの振り当てと撮影、そして原稿の担当者などを決めるように言われ、とても緊張したことを覚えている。
その頃までに、わたしは二冊か三冊のスキー技術書を書いていた。主にモーグルにかんするもので、これらを書く際にいろいろと迷い、苦労したことも覚えている。
しかし自分の名前で出す本と、この時の教程は大きく異なっていた。なぜなら、全日本スキー連盟の本として出版されるのだ。なにか問題があったとき、自分が責任を負うわけでなく、スキー連盟の責任となる。
そこで菅先生と、当時わたしに近いところにいた大槻先生にこんな相談をした。
「先生、誰か技術について相談できる人をご紹介下さい」
すぐに「もちろん、いいよ。誰でも紹介できるから、誰が良い?」との返事をいただいた。
わたしは教育本部や、日本のスキー技術の中心に誰がいるのか、よく知らなかった。だから、自分の少ない知識の中から、そしてわたしが読んで納得のいくことを書かれていた有名スキーヤーのなかから希望することにした。
「平沢文雄先生にお会いできれば嬉しいのですが・・・・・・」
そんなわたしに両先生方がこう返してくれた。
「それは良い。彼なら知識も経験も、実力も申し分ないから」
そして、わたしは『平沢スキー研究所』を訪れることになったのである。
この時までに、少なくとも三冊は平沢先生の本を読んでいたと思う。なかには今でも持っている本もある。加えてスキーグラフィック(スキー雑誌)だったと思うが、平沢先生のエッセイもたくさん読んでいた。
高田馬場駅に着いた頃から、緊張してきた。
そして三階にある事務所のベルを鳴らした時、緊張はピークに達した。
ドアを開けてくださったのは、事務員の女性で、すぐに平沢先生もいらしてくださった。
「よく来たね!」
先生の笑顔が、今までの緊張を嘘のように吹き飛ばしてくれた。
大きな包容力と温かい笑顔で、まったく知らないわたしを迎えてくれたのである。
ほっとするだけでなく、まるで歓待を受けているような気になったほど。
ターンについて、さまざまな質問をするわたしに、平沢先生は「角皆君はどう考えているんだい」とそのたびに聴き返してくれた。
当時から、わたしのスキー技術論の根底にはオーストリアスキーがある。
選手時代の最後くらいに参加した国際会議で、オーストリアデモの通訳を務めたこともあったし、現役選手時代にサン・クリストフで滑ったこともある。
後のことだが、自分のスキースクールを始めた頃、オーストリアを代表するデモンストレーター、ベルント・グレーバーと数年に渡って一緒にトレーニングする機会にも恵まれた。
平沢先生は、わたしの理論の元にオーストリアスキーがあることを、すぐに気付いてくださった。またこれまで書いてきたわたしのスキー技術についても理解してくれ、最後には「好きなように書いて大丈夫だよ。思い切り書きなさい」と言ってくださったのだ。
あの初対面から数十年が経過した。
気付くと、平沢文雄先生がわたしのホームである白馬五竜に、年に一度くらいのペースでレッスンにいらっしゃるようになった。
そんなこともあり今年、八十八才になられた先生のホテルを、わたしは妻を連れて訪ねさせていただいた。
すると先生は、あの四十五年前とまったく変わらない笑顔で迎えてくださったのだ。
そして、以下が先生の第一声である。
「角皆君、ぼくはね、去年よりうまくなったんだよ!」
いちスキーヤーとして、これほど心を揺さぶられる言葉はない。涙が流れそうになった。
スキーで生きて来たわたしにとって、これほど力を与えてくれる言葉もない。
今年、わたしは自分の創りたいように創ったDVDを、ダイレクトライン出版から発売していただいた。そのDVDと本をお渡しすると、数日と経たないうちに、こんな手紙をいただいたのである。
四十年近く前から憧れ、目標だった名スキーヤーから、この手紙をいただけたことは、自分の人生にとって大きな意味がある。たくさんの失敗はあったけれど、少しは間違っていなかったところもある・・・・・・という思いすら沸いてきた。
この手紙は、角皆家の家宝である。
繰り返し手紙を読みながら、なんとか平沢先生の年まで、滑り続けたいと願い続けている・・・・・・。
余談だけれど、平沢先生のご子息、克宗先生に初めてお会いした時、その笑顔を見て、ずっと以前からの友人であるかのように感じてしまった。平沢先生はお二人とも、素晴らしい笑顔の持ち主である。現在、追い駆けているスキー技術に違いはあっても、人間としてほんとうに尊敬できるスキーヤーである。
どうかお二人の平沢先生、これからも末永いお付き合いをお願いします。
m(_ _)m
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