ロクシィの魔私小説版(2) | 小谷野敦のブログ

小谷野敦のブログ

ブログの説明を入力します。

 この頃、大塚の「和風ヘルス」という触れ込みの店を、ウェブサイトを見てふらりと出かけた。だいたい、風俗なんて、三日前から予定して行くなんてものじゃない。ソープなら、高額だからそういうこともあるだろうが、ヘルスなんてのは、夕方、ああむしゃくしゃするから行くものだ。受付で写真を見せられて、まともそうな女を選んで、中へ案内されたら、部屋じゃなかった。大部屋俳優の楽屋みたいに、通路の両側に畳敷きのところがあって、それが薄い壁で仕切られていて、入り口はカーテンが掛かっているだけ、その部屋なんてもんじゃない一室へ入れられて、中は、畳二畳分ないんじゃないかって小部屋だから、行ったことはないが、要するに大きな椅子でフェラチオさせるピンサロに毛が生えたようなものだ。小さい机があって、入ってきた女が、顔はいざ知らず、凄い固太りで、しかも韓国人である。和風ヘルスだろうここは、韓国ヘルスなら、そう書いてくれ。さらにシャワーなし、体をウェットティッシュで拭いて、ゴムつけて、バキュームフェラである。
 これには参ったが、それでも私は、よりよきヘルスを求めて、大久保の「熟女ヘルス らっこ屋」というのに行った。私はどうも一般的に熟女好きらしく、若いころは、流行もあってロリコンかと思っていたりもしたが、中学生とセックスするなんて考えただけでぞっとする。私は新大久保駅のもよりの私立高校へ行っていたが、そのあたりは街娼が多く、そのためのホテルもあって、さらに大久保駅へ向かう途中は韓国人街になっている。さて熟女ヘルスらっこ屋は、大久保駅を出て道を渡り、細い道をたらたらと入った右手に、ぽつんと建っている。風俗街ではない。しかもその真ん前には、かつては売春撲滅運動を盛んにやっていたキリスト教婦人矯風会の建物がある。私は売春撲滅派だった頃、神田の救世軍へ行って山室軍平のビデオを買ってきたり、矯風会の売春と闘う女性と手紙のやりとりをしたりしていたから、いくらか罪悪感がある。
 らっこ屋は、古風な作りになっているが、全体として古くて汚く、石塀みたいなものに入口がついていて、そこに暖簾が下がっている。人通りもあるし、ためらって、一度通り過ぎ、また戻って来て、ついと中へ入った。
 このらっこ屋というのが、穴場とも言うべき店だった。内装は確かに和風だが、汚いといえば汚く、木造家屋の古いのそのままな上、天井にはかすかに蜘蛛の巣のあとのようなものすら見えることがあった。入ってすぐの左手に待合室があり、二畳ほどの和室で、テレビが置いてありテーブルがあるだけだ。そこに「当店はハードサービスです。手の爪などはきれいに切っておいてください」と書いてあり、爪切りが置いてあった。ハードサービスって何だろうとはじめは怖かった。熟女といっても、二十五歳以上をそう言っているだけらしく、ぎょっとするような老けた女は出てこない。ほどなく「女の子の準備できました」と言われて出ると、浴衣姿のような女の子が、廊下に座って深々とお辞儀している。あとについていくと、傾いでいるような階段を上がる。これが風情がある。普通のフェラサービスのほかに、女の陰部にローションを塗ってペニスにこすりつける素股サービスもあり、これはちょっと病気が怖かった。アナル舐めをしましょうかと言われたこともあったが、断ってしまったのは、残念なことだった。
 何度か行ったが、出てくるのはみな尋常な女たちで、特段の美人などはいないが、特にひどいということもない。一人は、人妻だと言っており、夫の稼ぎを補うために働いている、という風だった。和室の個室も十分に広いし、下手に現代風な店より好感が持てた。そのため、全部で五回、らっこ屋に行ったものである。

 さてその頃、私は、早稲田を出たのに銀座の大衆キャバレーでホステスをやっているという女からファンメールを貰い、やりとりののちにその女が茗渓大学の非常勤先へ会いに来るということがあり、私はその義理を果たすようにして、そのキャバレーへ行ったのである。
 キャバレーだのバーだのといったものへ足を踏み入れたのは初めてだったが、源氏名をわかばというその女がいたため、さほど退屈せずに済んだ。酒はしばらく呑んでいなかったが、ここでは、雰囲気のせいか、割と呑めた。そして月に一度くらいは、松屋の裏手にあるこの白ばらというキャバレーへ出かけたのである。ここは庶民キャバレーなので、店の表に大きな日本地図を掲げて、ホステスの出身地を示して、あなたの地元の女性に遇えますという謳い文句があった。
 要するに私は、四十三歳になって、「遊蕩」の味をちょっと味わったのである。三度目くらいに「白ばら」に行った時、初めてついたホステスは、いきなり、
 「先生、官能小説でも書いたら」
 と言った。彼女は源氏名を「みやこ」といい、三十歳くらいで、ややのっぺりした顔ながら、眼もと、口もとにふしぎな媚態を湛えた女だった。私は彼女と言葉を交わしながら、ホステスにしては知性があると思った。だが、妙なことに、ずけずけと、「専門学校とか、出たの?」くらい訊く私が、この女には、そういうことが訊けなかった。二十代後半くらいだろうか、と踏んだが、私はやや惚れこみ、メールアドレスを聞きだしたが、それには「ちゃるめら」と入っていた。
 「ちゃるめらって何?」
 と訊いたら、
 「旦那です」
 と言うので驚くと、少し笑って、
 「猫の名前なんです」 
 と言った。こういうのは、惚れてしまうではないか。ホステスが教えるメルアドなどというのは営業用のものだが、帰宅してからメールを送ったら、本名つきで「よろしくお願いします」といった返事が来た。
 キャバレーのホステスには、昼間は普通の勤め人をしているという女性もいる。みやこも、そうかもしれないと思った。後藤によると、ソープ嬢でも親しくなるとプライベートなメルアドを教えてくれるということだった。次に行った時もみやこを指名した。その日は、酒の呑めないはずの私が、どういうわけかビールをがぶがぶ呑んでみやこと話していたが、
 「愛人にならない?」
 などと口にしたのは、酒の勢いであったが、みやこは、私が当時独身だと知っていたから、
 「愛人? 正妻は?」
 と実にまともな疑問を口にし、それは後からじわじわとみやこへの好意へと変わって行ったものである。
 奇妙にもみやこは、半ば真剣な風をして、年齢は三十二歳、と打ち明け、私との年齢差などを計算し始めた。指を折って数えるようだったが、私は酔った頭ながら、真剣に考えてくれているのかとふるふる嬉しかった。そのうち、わかばが席を外すと、少し声をひそめて、
 「北台俊司って知ってます?」
 と、意外なことを言う。知らいでか、援助交際などを論じている社会学者で、私のいわば論敵である。
 「いとこなんです」
 と言うから驚いた。ちょうどその頃、北台は、以前同棲していたフリーライターと別れた後、東大名誉教授の娘と結婚して、裏切り者とか言われていた。
 「えっ、こないだ、ほら、若い人と結婚したじゃない。結婚式とか、行ったの?」
 「ええ、すごくお母さんにかわいがられていて、俊ちゃん俊ちゃんって」
 私は思わず、げらげらと笑っていた。宿敵ともいうべき北台俊司の従妹に、愛人にならないかと提案していたのだから。
 みやこは、東京の西の方で、実家の近くで猫と二人ぐらししていると言っていた。
 その日の帰路の私は、北台のことはともかくとして、キャバレーのホステスと結婚できるか、と本気で悩み考えていたのだからおかしい。結局、以後みやことの連絡は途絶えた。