私が生まれ育ったのは奈良県の中部に位置する桜井市という小さな田舎都市だ。 全国的に高校野球で有名な天理高校がある天理市の隣、南側にある。 もっともかなりの高齢者は天理市ではなく、天理市になる前の地名である丹波市(たんばいち)とう名称で呼ぶ。 その桜井市であるが、桜井村として興り、周囲の村々を吸収して桜井町となり、昭和30年代初頭に桜井市となった。 中世から江戸時代にかけては大名の織田家の流れをくむ戒重(かいじゅう)藩の領地でもあった。 現在では、今上天皇も親しく参拝にお出ましになられた大神神社(おおみわじんじゃ)や談山神社(たんざんじんじゃ)、等彌神社(とみじんじゃ)、安倍文殊院、それに古道山の辺の道などが有名で、特産物は三輪素麺だ。
(平成の近鉄・JR桜井駅南口)
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桜井市はかつては材木の町としてたいそう栄え、各大手メディアの駐在員も常駐し、駅前や商店街などは大阪梅田の東通商店街に勝るとも劣らないほどの雑踏であった。 夏場に商店街を中心に開催される夜店や夏祭り、それに阿波踊りなどは地域の一大風物詩でもあった。 私が通った桜井小学校などは当時としては珍しく鉄筋コンクリートのハイカラな建物であったし、木製ではあるが桜井中学校などは全国モデル校舎に選ばれたほどだ。 だが、そんな桜井市の青春時代とも言うべき栄光も盛者必衰の理(ことわり)から逃れることはできなかった。
(明治時代後期の桜井駅南口/当時は国鉄)
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二度にわたる石油ショックに外国産の安価な材木輸入の増加、バブルの崩壊に近年の少子高齢化などが相俟って現在の桜井市に往時の面影を残すものはない。 夜店はなくなり、商店街はシャッター通りとなりアーケードさえ取り払われた。 かつて桜井一番街と呼ばれた桜井の一大繁華街は駐車場となり、桜井丸の内と呼ばれた辺りは閑古鳥が鳴いている。 夜にはさながらゴーストタウンのようである。 将来、桜井市がまた昔のように輝いていた時代はもう来ないだろう。 このまま静かに朽ち果てていくのだろうか。 考えてみたら、このような町は独り桜井市のみならず、日本全国至るところにある。 誠に寂寥の感を禁じ得ないものがある。 ただ桜井市内中心を流れる寺川のみが過ぎ去った懐かしい昔話を語ってくれるのだ・・・。
(桜井市の歴史の証人である寺川)
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