(伏見稲荷大社楼門)

陽も傾き姶めた午後6時頃。
私は京都市伏見区は節稲荷大社の楼門の前に立っている。 此処にやって来るのは約30年ぶりだ。 幼いころにこの近所に住んでいた私は幼馴染たちとよくここの境内で遊んだものだ。 その後、親の転勤で遠方に引っ越し、また東京の大学に進学してからはすっかりこの場所とは疎遠となってしまっていた。 しかしながら、この場所にはいつも魅かれるものがあった。
なぜだろう?
幼いころに親しい近所の友達とこの美しい境内で遊びまわった郷愁からだろうか?
いや、きっと彼女のことだ。
いつも遊んでいた私たちを、いや私を優しい瞳で見守るように包んでいてくれたあの美しい巫女さんの面影だ。 あれから30数年・・・きっと彼女も素敵に年齢を重ねられ幸せな家庭を築いているに違いない。 そんな彼女のことがずっと忘れられずにいた私だった。今、ここ伏見稲荷大社を訪れたとて彼女には会えないことは分かっていたが、言うなれは私の自分探しの旅でもあるのだ。
(稲荷山中にて)

私は本殿から千本鳥居を抜け、奥杜を経て、稲荷山の参道に入って行った。 そして「根上げの松」に至ったときだ。 そこには一人の美しい巫女さんの姿があった。
私は彼久の顔を見てはっとした。
「彼女だ!!!」
でも、そんな馬鹿な! 30年前と全然変わっていない! 年をとっていない彼女がそこにいた。 他人の空似か!?
混乱した私の脳裏には様々な思いが沸き上がり、そんな私の様子を見て彼女が話しかけた。
「あなたが来るのを待っていました。 そして・・・あなたが成長して大人になるのを侍っていました。」
その言葉を聞いて私は更に混乱してしまった。
「どうぞ、こちらへ・・・
彼女は私を先導して稲荷山参道を進んでいった。 私は彼女の後に従った。
やがて彼女は私を熊鷹社の新池の畔へと誘った。 そこには2体の可愛い、まるで夫婦のような狐像が並べて鎮座されていた。 どれくらい時間が経ったろう。 その間、彼女はずっとその狐像を見つめていた。 そうして、そんな彼女のつぶらな瞳からは夥しい涙があふれているのが見えた。 彼女は重苦しい沈黙を破り私に告げた。
「こちらに来てこの狐像に手を当てて目を閉じてください。 あなたは或る男性の・・・いいえ、あなたの過去を追体験することができるでしょう。」
彼女の言葉をを聞き、私は或る種の不安を覚えたが、また同時にに強烈な好奇心をも抱いていた。 タイムマシンに乗るかのように自分の過去を知ることができたなら・・・私は彼女に云われるままに狐像に手を当てて目を閉じた。
ドーーーン!!!
その瞬間、大きな地響きとともに強烈な光が放たれ、私の前頭葉には様々な映像が浮かび上がった。 そうして、私は或る男の・・・いや、私自身が体験した過去の出来事を追体験したのだった。 夜中の伏見稲荷大社の徘徊、神の化身であった女性との出会い、私に人間界からの離脱、幸せな彼女との結婚生活、そして最後には病に倒れた私を看取る彼女、永遠の生命の誓い、狐像に込められた彼女の願い・・・。
気が付けば私もまた膨大な量の涙を流していた。 彼女の声が聞こえた。
「忠い出していただけましたか・・・?」
私はそんなの彼女の問いに返事をする代わりに、彼女を力強く抱きしめていた。
それからというもの、前世でのように、私と彼女との結婚生活が再開された。
ある日、彼女は私に言った。
「この世では私が人間界に参ります.
「えっ!?」
前世ではあなたが人間界を捨てて私たち神の世界に来てくださいました。 ですから、今世では私があなたの世界・・・人間界に参りたいのです。
「それは構いませんが、人間の寿命は短いですよ・・・。」
「確かに人の寿命は短いですが、だからこそ、その貴重な寿命を、生命を愛おしく感じられ、感謝の思いを強くすることができると思えるのです、あなたと一緒なら・・・・」
それから30年後。
今度は私が彼女を看取る日がやってきた。 苦しそうな息の中で彼女はすがるような瞳で私を見つめた。
彼女は最後の力を振り絞って私に訴えた。
「私は・・・後悔はしていません・・・愛とは後悔しないことなんでしょ・・・.
「そうだよ・・・私たちの愛は永遠だよ・・・またすぐに逢えるよ・・・」
私は彼女の瞳を見つめ返しながらその手を強く握りしめた。
そうして彼女は静かに目を閉じて息を引き取った・・・。
私は最後に彼女に嘘をついてしまった。
私たちは人間界と神の世界を越えて契りを結んでしまった。 その掟を破った罪により、この次に二人が出会えるのは1000後なのだ。
彼女が建立したあの狐像はもはや私達の愛の墓標となってしまった
だが、私もまた後悔はしていない。
この世に生まれた目的は出逢うことだからだ。 そして、私は2度も最愛の彼女に出会うことができた。 もしかしたら、その前にも彼女に遭っていたかもしれない。 だから1000年後なんかあっという間だと信じている。
(稲荷山中にて)

御前5時。
そろそろここ伏見稲荷大社にもまた朝が訪れる。
「こーん、こーん! 戻って来てくだせぇ!」
今日もまたここ伏見山の風物詩となってしまった村上夫婦の呪いの叫び声が聞こえてくる・・・。
 
おわり。