(稲荷山の将軍菩薩)


今や世界有数の観光地ともなった日本の稲荷信仰の総本山でもある伏見稲荷大社。その伏見稲荷大社の東側に聳える約200メートルたらずの稲荷山は同時に伏見稲荷の御神体でもある。稲荷山全体にも数多くの鳥居塚が存在し、またその山道にも伏見稲荷大社の千本鳥居を含む参道同様に多くの鳥居が寄進され建てられている。では稲荷山は神道の山なのかというとそうではない。後述するがそこには明治時代初期の廃仏毀釈運動以前の修験道に於ける神仏習合の姿が見て取れるのだ。確かに稲荷山そのものは修験道七高山には属してはいないがその山中には瀧の修行場や真言密教に関する仏像や施設も散見されるのである。

さて、今回はそんな霊山である稲荷山の奥深くいづこかにあると言われている仏像を尋ねる旅の記録である。更には来るべき夜間徘徊に備えて未知の山道の下調べという意味合いもある。その調査の経路ではあるが、当初は京都三条か四条辺りからバスに乗って大石神社に向かいそこから稲荷山に向かうか、或いは地下鉄椥辻駅から大石神社方面に向かいそこから稲荷山に入山しようかと考えたのであるが時間のロスが少なくないので、通常通り伏見稲荷大社側から稲荷山中に向かうこととした。先ずは千本鳥居を通り抜け奥社奉拝所から左手の稲荷山方面へ少し進んだ後に左側にあり「根上の松」の向かいの東山トレイルに進入する。即ち竹之下道(お瀧道、行者道)を進み大岩大神を経て稲荷山山頂に向かうのだ。先述したように今回は未知の山道の下調べという意味合いもあり既知の山道であっても街灯が皆無の区間には適当な

箇所に夜間にも視認しやすいように反射テープ等を貼り付ける作業も兼ねることとした。

さて、「根上の松」前から東山トレイルに進入した私は伏見神寳神社(ふしみかんだからじんじゃ)を経て大岩大神に向かった。夜中には地獄の行者道であるが昼間は自然豊かなトレイルだ。他の散策者と出逢って挨拶を交わすことも楽しい。やがて「弘法ヶ瀧」「青木ヶ瀧」を通過して「白菊ヶ瀧」に到着する。ここからは坂道になる。「御劔ヶ瀧」を通過すると分岐点に到達する。左方向は「末廣ヶ瀧」の裏側から急な残虐坂を登って一の峰へ至る。右方向は「末廣ヶ瀧」を経由して大岩大神への参道だ。尚、この界隈には鬼婆が出没するという噂もあり要注意だ。末廣ヶ瀧の横をすり抜けて石段伝いに最上段に大岩大神は鎮座する。稲荷山中には珍しくここには休憩用のベンチもあり体力の回復を図るとよい。さあ、旅を続けよう。大岩大神出口から眺めて左側の坂道は今しがたやって来た参道、右側の山道がルートだ。山道を暫く歩むと四叉路に到達する。今登ってきた大岩大神及び伏見稲荷大社方面と、左方向の一の峰方面、正面の滑坂道(稲荷山北入山口)方面、そして右方向は西野山を経て大石神社方面である。我等は左方向の大石神社へのルートを進むことにする。何故ならばその方向にこそ今回の旅の目的である稲荷山の秘仏がある可能性が大きいからだ。この四叉路から大石神社方面への山道は非常に分かりにくい。山道上への落葉の堆積が多くて通路が見えにくく倒木も多いからだ。

(伝説の恐怖の落し穴インフェルノの近くの石碑)

また、伝説では将軍菩薩の近くにはインフェルノと呼ばれる大きくて深い竪穴が口を開けており誤ってその穴に落ちるとブラジルまで行ってしまうという。ただ菩薩像そのものは山道を入って数分歩くと出逢うらしい。我等は後世の求道者が道に迷わぬことを願い山道で時々見かける案内板等の支柱部分に夜間にも映える反射テープ等を装着しながら慎重に歩を進めた。

(いきなり稲荷山中に現れたお地蔵さん)

「おおっ!」

我等は一瞬たじろいだ。我等の眼前に急に地蔵菩薩像が現れたのだ。涎掛(よだれか)けも比較的新しいものが掛けられており今も誰かの手により供養されているようだ。そしてなんと地蔵菩薩像の奥には稲荷山の神蹟らしき像も見えるのだ。

(稲荷山秘密の神蹟?)

そうして極め付けは更にその神蹟の奥には今回の目的であった将軍菩薩像も出現したのだ。これらの宗教施設が何故このような稲荷山の奥深くにあるのかは現在のところ不明だ。もしかすると夜な夜な異形の者どもが、或いは世間から身を潜(ひそ)める秘密信者たちが生贄を供えて秘密の儀式を挙行しているのではあるまいか。

(威厳のある将軍菩薩像)

過去には応仁の乱等でこの山中には武士の一党が立て篭もり志半ばにして討ち取られた者もあるという。そのような怨念が染みついた山でもあるのだ。そのような悪因縁を封じ込めるための仏像であるのかも知れない。先述したごとくこれらの施設の近くには謎の石碑とそのすぐ横にインフェルノが大きな口を開けて人々を飲み込まんと待っている。

庶幾の目的を達して我等は足早にその地を離れることとした。次回は真夜中の丑三つ時(午前二時半)に再訪するつもりだ。


おわり。