言葉が人を殺すというテーマにおいて、
本作では「虐殺の文法」が呪文の如く登場する。
本人は正しいことをしているという認識。
まるでつい先日もあったネットの言葉が人を刺し殺した事件を彷彿した。
言葉とは恐ろしいものだと改めて痛感する。
感傷的な人は言葉に出すことをためらい、
誰と接触することも拒絶して、闇に引き籠ったのかも知れない。
この日本には何十万人もの人がそんな闇の中に暮らしているのだという。
大騒ぎしていたコロナ感染者の何十倍もの数だ。
もしもコロナくらいに大騒ぎしたならば、
こんな人数にはならなかったのだろうか。
いや言葉の恐ろしさは、
ウィルスなどの比ではないのかも知れない。
本作ではアメリカの特殊部隊に所属する主人公が、
あちこちで勃発する大虐殺に関与する首謀者の一人を、
抹殺する使命を帯びて世界中を飛び回る。
最先端の兵器を使ったアクションシーンが、
いかにもハリウッド映画然としていて、
スカッとした迫力ある描写がカッコいい。
著者の伊藤計劃は早世してしまったが、
この作品は後の世にも残るだろう。
主人公自らが抱えた十字架と、
虐殺の文法を操る首謀者の対話の中に、
正義というものが極めてあやふやな価値観であることを思い知る。
世の中の正義も倫理も、
いくらでもコントロールされうるものであり、
国家レベルにおいては、同じ行動が、
ある時は英雄として祭り上げられ、
ある時は極悪非道の悪魔と貶められるようなものなのだと気づかされる。
多分、事実だろう。歴史的にもその事実は証明もされている。
どう生きればいいのか。
正しくありたいと願うなら、
何も言わず、何もしないのが最もそれに近いのかも知れない。
ネット社会は様々な多くの意見が聞きやすいと言えばそうなのかもしれない。
でも、最近は妙に偏っていないか。
寄らない意見や、
生き方は叩きのめされて消えていく定めにないか。
黙ってしまっていいのだろうか。
虐殺の文法にただ絞殺されるのが、
今の世の正しい死に方ということなのだろうか。
言葉がもっと、
人を幸せにするものであって欲しい。
壊れそうな人を、
元気づけ勇気づけるものであって欲しい。
もう死にたいと思った時も、
また立ち上がる勇気を与えてくれるものであって欲しい。