人種差別について、

自分がどれくらいの認識で、

どれくらいの理解をしているのか分からないけれど、

顔かたちも姿も大して変わらない中国や韓国の人たちに対してですら、

文化の違い、考え方の違いに、

何となく疎ましい気持ちを覚えることは現実として存在する。

 

だからと言って、

あからさまにそれを是として、

我が国に入って来るなとか、

その辺に出て来るなとは思わないけれど。

 

一方では背の高い白人さんや、

体格のいい黒人さんには、

何となく卑屈になって、ハローなんて言ったりもする。

そういう風に違いを認識して反応してしまうことを、

差別と言うのだろうか。

 

生まれも育ちも全く違うのだから、

その結果である今に違いがあるのは当然なのだ。

無暗矢鱈に理解しようったってそんな簡単なことじゃない。

 

片方だけがどんなに歩み寄ったって、

どうにも出来ないこともある。

 

だからせめて苦しまないでいたい。

苦しまないでいて欲しい。

 

大勢の塊を理解することは出来なくても、

貴方と言う個人ならば、きっと理解することは出来る。

時間は掛かるかもし知れないけれど。

だからぼくのこともどうか知って欲しい。

すぐにだなんて言わないから、いつかきっと。

 

 

グリーンブックにはそんなメッセージが語られていた。