ひとりごと | 月のベンチ

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両親の闘病記


私は、いったい何を糧に
何を希望に、
やって行けばいいんだろうか。

と考える。


もう何ヶ月も、母の穏やかな顔はほとんど見ていない。
せめて、ふつうに眠っていてくれたら、と思う。

眼を閉じていても、苦痛というより苦悶した表情ばかりで、

だったら、このままずっと眠っていてくれた方が、母も私も楽かも…。

何か楽しみがあるわけでもなく、
ただ、苦痛の連続。

触るだけで緊張が起こる。


生きていてくれるだけでいいじゃないかと人は言うけれど、
母からしたら、どうなんだろうか…?


緊張は当人の心理的な面も作用するという。

母は昔から人にベタベタされるのがキライだった。

私も母と手をつないで歩いた記憶があまりない。
肩もみなど、ほとんど拒否された。
(たまにとても辛かったのか、やらせてくれたことはあった)

介護されるのは、誰だってイヤだろう。
でも、母は「接触」という意味でも、精神的に負担を感じているのかもしれない。

私がリハビリしたりマッサージしたりするのも、緊張の原因になっている可能性がある。

入浴後も、療法士さんのマッサージ後も、緊張がほぐれるはずなのに、ほぐれない。



緊張のために拘縮も進んだ。

気管の心配と、毎日毎日母の苦悶と向き合う。

とくに、最近は経管栄養中に緊張が高くなる。
もしかして、経管栄養すら拒否しているのだろうか。



病院の生活は、苦痛だろう。

それはわかってはいるけれど。






私も外ではブログで書くような後ろ向きな態度じゃない。


ブログはいわば、私の心の闇。



だから、もちろん「一般うけ」しない。

読んでも読後感は悪いだろうし、元気も出ない。
(当たり前f^_^;)


でもね。

毎日、自分にできる精一杯の努力はしている(つもり)。


他の人たちに比べたら、ほんの微々たるものだとしても。



いくらネガティブな私でも、それくらいは自分を認めてあげないと

やって行けないからね。


入院中であっても、母の障害と今の状態に対峙して行けないからね。