母は、口や鼻からとりきれない分泌物を、気管に挿入したカニューレから吸引する。
が、吸引カテーテルが気管狭窄で奥まで入らず、いくら咽せていても痰が吸引できないことがよくある。
頭と首が筋緊張で動かないので、カニューレを動かして、何とかカテーテルが入る場所をさがすしかない。
それをすると、気管切開部から出血してしまうが、それしか方法がない。
そのうちどうやっても入らなくなったら 、どうなるんだろう…
在宅にしてあげたいものの、カテーテルが入らなくて、おまけに出血してしまったらと考えると、、、
私に最期までできるんだろうか?
と自問自答。
おとといは、やっぱり吸引カテーテルが入らなくて、少し嘔吐。
痰もとれず、カテーテルも入らず、様子を見るしかなかった。
どうするべきか…?
〔追記〕
同室の患者さんの娘さんと、延命について、お互いの母について話す。
年齢的に、もう急変前や去年のように戻ることはないけれど、徐々に下降していくだろうことはわかっているけれど、
何とか持ち直して
下降線も、ゆっくりと穏やかであるように願う。
そんな話。
その患者さんは、あまり思わしくないようだ。
でも、バイタルもまだまだ大丈夫。
そう思いたい。。。
途中で娘さんが泣き出して、思わず頭や背中を撫でながらこちらも貰い泣き。
気持ちはすごくよくわかる。
やっぱり家族の中でひとりで頑張っている。
家族も、離婚などではなく、気持ち的に『他人』になることがある。
三年前の母の手術の失敗のときを思い出した。
深夜に主治医からダメだったと聞かされ、頭を抱え込んでいた私に、兄嫁がそうしてくれた。
(逆に、父親は私に荷物を押し付け『帰るぞ』と言っただけ)
この療養病院は、重度の患者さんが集まっている。
いつ何があってもおかしくない。
健常者でも何かあるときはあるけれど、確率で言えば、の話。
書きたいことはもっとあるけれど、うまく表現ができそうもないので、今回はこれで止める。