無題 | 月のベンチ

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両親の闘病記


母はこの病気や障害に負けているとは思っていない。

勝ったとも思わないけれど、
次々に襲ってきた合併症にはいつも負けないで復活してきたから、我が母ながら恐れ入る頑張りだと思っている。

私が毎日病院に行くのも、在宅介護にしてあげていない罪悪感と、そうした母の三年以上に渡る奮闘ぶりをずっと見ているからだ。

現状維持すら難しい状態の中、それはすごい気力と体力を要すると思う。

一般病院の医者には見放され、新しい合併症のための薬を使うにもしつこくしつこく頼まないとトライしてもらえない。

いろんな治療さえ、すでに綱渡りの段階で、一歩間違えば落っこちてしまう。
だからみんな躊躇するし、やりたがらない。



たぶん、似たような状態のご家族がいる人たちにはわかるかもしれないけれど、微妙なバランスで保っているところがあるのだ。

同室の患者さんも、原因不明の症状で状態が上がり下がりを繰り返している。

『原因不明』

これだ。

母もそうだけれど、積極的な検査すら難しい状態なのだ。
検査も体力がいる。
前述したように、間違えばバランスを崩す。
やりたいのは山々だ。
でも、可能性に賭けるにはリスクが大きすぎるし、体力や年齢のこともある。


たとえ検査しても、器質的な疾患が見つからなかった場合、細かい症状を訴えられない母は、『原因不明』等で対処療法を繰り返すことになる。



気管内の出血はとりあえず今は止まっている。

それとは別に、腸の機能がまた一段衰えたようだ。
とても頑張ってくれているけれど、強力な下剤と浣腸をもってしても、なかなか難しい。





決して匙を投げたわけではなく

頑張ってくれているけれど

頑張っているけれど

それだけでは食い止められないものもあることを、私は気づいてしまっている。

生物とは

そういうものなんだと。