ドラマ『フリーター、家を買う』 | 月のベンチ

月のベンチ

両親の闘病記

愚痴のような記事にまたお付き合いくださっている方々にはお礼を申し上げたいと思いますm(_ _)m

母が倒れた年の秋、放送されていたドラマでした。
今でこそリアルタイムのテレビはまったく見ないですが、当時は母が必ず回復して歩いて家に帰れると信じていたので、2011年の春頃までは、家事の合間にドラマなどをポツリポツリと見る気持ち的余裕のようなものがありました。
(母の意識が戻らず、回復期リハビリ病院ではなく療養病棟に転院となり、すぐにあの大震災があったのでそれどころではなくなりましたが)

あのドラマでは、主人公のうつ病の母親が回復の兆しを見せ、引っ越しをして新たなスタートを切る、ような感じで終わっていたように記憶しています。
うちも引っ越しはしましたが、母の症状には波があり、あの『主婦リーダー』の呪縛からは完全に逃れることは難しかったです。
前記事にも書きましたが、変な物音がすると『彼女』がやっているのだと言ったり、家の中の物の場所が少し変わっただけで『彼女』の知り合いが家に入ったに違いないと言ったりしました。
私はもしかしたらウツだけでなく、若年性アルツハイマー等も疑いましたが、結局違いました。

母のそうした症状などを、父親は右から左に聞き流し、自分が何とかしてあげようとは決してしませんでした。
そのため母はほとんど私だけを頼っていました。
でも、私の努力が足りず、母はそのうちアレルギー治療の皮膚科以外の病院を拒否するようになり、眠剤も一切受け付けなくなりました。
旅行の写真を見ると、次第に表情が疲れて来ていたのがわかります。
母の脳動脈瘤は、まだほんの3mm弱程度でした。
小さくても破裂することはありますが、もともと血管が細かった上に睡眠不足が重なり、まだまだ破裂するはずがなかったかもしれない瘤が、あのとき破裂してしまったのだと思います。

母の治療などの選択は、全部私がしてきました。
兄と父親は私に最終決断を委ねてくれましたが、逆にそれは何が起こっても全責任は自分にあるということだなと思いました。
自分が決めようと、人が決めようと、結果が良好でありさえすればいいのですが…
私が決めてきたことに、悪い結果がついてきたことは一つや二つではありませんでした。

過ぎたことをあれこれ言っても仕方がありませんが、自分がもう少し努力をしていたら、母の運命はまた違っていただろうな…と思うのです。