とかくこの世は… | 月のベンチ

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両親の闘病記


私以外の家族は、母の苦痛いっぱいの顔をほとんど知らない。
見てもほんの数分。
私から話には聞いていても、実際見ると聞くとでは大違い。
母の苦痛の話を聞いても、一日でも立ち合おうという気すらないのだ。

私は自分より腰抜け(?)の男は好きじゃない。
(私が言っても説得力はないかもしれないけれど、多少ダメもとでもやってみようという気持ちが重要では?)





三連休の間に、病院でちょっとした演奏会があった。
でも、車椅子に乗って聴きに行けたのは移乗が楽で意識のある患者さんばかり。


私が言いたいのは、病院スタッフ側の言う“平等”とはどんな基準なのだろう?と言うこと。
だいぶ前、二週連続で母をリクライニング車椅子に乗せてとお願いしたとき、先週も乗った、順番だからダメと言われたことがあった。

忙しい中、時間内に仕事を回して行かなければならない大変さはよく分かる。
たぶん、私の感じている差別感は、患者家族特有の、もしかしたら、許容量の少ない私限定の気持ちかもしれない。

うまく立ち回れない自分を棚に上げて、『やってくれない』と他人のせいにしているのだろう。

あ~あ
だから自分が好きじゃない。


夏目漱石が書いていたっけ。
『智に働けば角が立つ。
情に棹させば流される。
意地を通せば窮屈だ。
とかくこの世は住みにくい』


初めて読んだ高校生のときはよく意味がわからなかった。




今は身にしみる。。。。。