不公平感 | 月のベンチ

月のベンチ

両親の闘病記

心が狭い、細かい、うるさいと言われると思うが、今日は特に感じた。

身近な不公平。

Tさんは毎日リハビリで車椅子に乗れるのに、さらに午後のお茶の時間にも車椅子に乗せてもらっている。

ご家族が乗せているなら何も問題はない。

私が一度スタッフさんに車椅子の移乗を頼んだとき、この間乗ったでしょう?順番だから、と断られたことがある。
(母はほとんど車椅子には乗っていない)

後日MSWと師長にそのことで確認を取ったところ、今後は各患者さんの車椅子に乗った日付を記録し統計をとる、と言う話になった。

が、母の移乗については最低でも三人の人員が必要なので、リハビリで乗せたらどうかと後から言われた。

それも納得が行かなかった。
母のリハビリは20分前後のPTが週二回のみ。(担当療法士さんは熱心なので時間オーバーしてくれる)
ポジショニング等で移乗に半分の時間が費やされてしまう。
筋緊張をほぐすには、じっくりとマッサージする必要があるのに。

かたや、Tさんのリハビリは毎日PT、OT、STがある。
その上リハビリ以外の時間も、他の寝たきり患者さんより優先的に車椅子に乗せてもらっている。
順番や統計はどうなったのかと疑問だ。

各患者さんが具合が悪くて移乗できなくなった場合や、スタッフさんの多忙、人手不足等を考慮に入れても、…多少不公平感は残る。

これも、意識のあるなし、介護度の高低差だろうか?


昨年10月21日の記事で『尊厳死と安楽死』と言う記事を書いた。

自分の尊厳を保ち、守るのは自分自身でもあるが、周囲の接し方一つで尊厳を保ち守ることができると思う。


私は何度か書いてきていることがある。

医療は全て延命だと考えているということ。
そして、先に書いた、周囲の在り方こそが人の尊厳を守るのだということ。



※※※※※※

私のブログは明るくもないし楽しいことも書けない。

でも、心の底から思っていること、書きたいことを書いている。

もともと母のことがなければブログは始めなかった。

だから、心から思うこと、心から叫びたいことがなくなったとき、ブログは書かなくなると思う。





【特記】

『不公平感』はあくまで私個人の感じたことです。
私の知らない様々な理由からそうせざるを得なかったかもしれません。
その場合はお詫びしたいと思います。