11月3日記事に追記 | 月のベンチ

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両親の闘病記

レスパイト入院をして1ヶ月以上経つ。
救急搬送もされ、もはやこれはレスパイトではなく、治療のための入院になっているが。。

もともと病院のケアに納得行かなくて始めた在宅介護。
やってもらっているとはいえ、胃痛と胸痛の毎日。
自分で看護・介護するのも大変だが、他人にやってもらって、言うに言えないこと、こっそり遠慮がちに自分でやるケア。
指摘しなければならないようなミスを見つけたときの、波風立てないようにどう言おうか悩むとき。
決して一から十まで意地悪く勘ぐり、指摘しているわけではなく、家族として本当に胸が痛み、切ない思いの末にお願いしているのだ。
ほんとうは自分で何もかもやってあげたい。
それができない家族のやり切れない思いを、少しでもわかってもらえればと思う。

だから、つい、手も出すが口も出してしまう。
私ならもっときれいに洗うのに、
もっとゆっくり身体を動かしてあげるのに、と。
ひとりで出来ることはやり(口腔ケアや医療的ケアなど)、体交など、ちょっと手伝ってもらえば出来ることは頼んで一緒にやってもらう。
でも、骨折が完治していないため、オムツ交換はやってもらわなければならない。(排便時は未だ3人以上でやっている)
だから、あまりクドクド細かいことまでお願いできない。

悲しいし切ないし、母に申し訳ない。
早く退院させたいが、そうも行かない。

そういう思いがグルグルと頭の中を回り、どうすれば母の状態を安定させることができるのかを、一日中考えている。

在宅介護のときも疲れはあったが、今はまた違った疲れがたまっている。

師長にこの間言われた。
『顔が浮腫んでますね‥どこか悪いの?』
たぶん腎臓かも。
昔入院してから気をつけて生活してきたが、母が倒れてから、とくに在宅介護になってからは自分の体調など気にもしなかったから。
師長に言われてはじめて浮腫んでるの?と気がついたくらいだ。

とにかく、何とか母の命をつながなければ。

また、母と暮らすために。



追記
気管をどうするか決めなければならない上に、日々の病院での看護介護でも悩みは尽きない。
入院しているのに、なぜ自分がここまで細かく考えたり気にしたり提案したりしなければならないのか…
精神的圧迫、精神的苦痛を感じる。
帰宅しても、家族団欒があるわけでもない。
病気の宇宙人な父親と、高齢の猫。
全部自分に降りかかったことならいいのに。