2015/11/05 | 月のベンチ

月のベンチ

両親の闘病記

病院でのケアが、家でやるようには行き届かなくて

毎日毎日母がかわいそうでかわいそうで

真っ赤になったお尻も痛々しい

家ではそんなことなかったのに

気をつけてとしか言えず

毎晩帰宅しても家事以外何もやる気がしない
自分の病院も行く気がせず、
もともと自分のことは何もしなかったけれど、さらに何もする気が起きず、
ごはんも砂みたいにしか感じない。

ただただ、母がかわいそうでならない。

何とかしたいけれど、気管を何とかしないと家に戻せない。

ほんとうに
知らないということは気楽だ

父親や兄は『知らぬが仏』でいいご身分だ

自分のことしかやらない

自分のことが出来るだけいい?

ふざけないで

そんなセリフ
私に言うな!





いつになったら帰れるんだろう?

散歩にも連れて行ってあげられない

いつになったら見通しがつくんだろう?

いったい何が最善の選択なんだろう?

私はこのベッドサイドで、いったい何時間手をこまねいて過ごしているのだろう?

やるべきことはたくさんあるのに、自分に『主導権』がない。

治療法を決めていないから、退院の目処も、ケアプランさえ具体的に進められない。

ただ、『何もしない』時間がどんどん過ぎて行くだけ。
何てもったいないんだろう。

在宅続行していたら、10月にはヘルパーさんたちが大勢入って、リクライニング車椅子レンタルして、散歩する予定にしていた。
嚥下に詳しい歯科医と歯科衛生士さんがついてくれていたから、少しでも何かできたらと計画していた。

何かあると、行いが良いからとか悪いからとか言うけれど、私はそんなに行いが悪いんだろうか。
それならそれで、私の周りでなく、私自身に病気なりケガなりを与えればいいではないか。