声優の保志くんは同期 | 沖田峯子 人生をクリエイトする。

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日々思うこと、創作のこと、大好きな映画鑑賞などなど好きなことだけを自由に書き綴っています。

声優の保志総一朗さんが5月30日に50歳の誕生日を迎えられたとこのことで、おめでとうございます!

 

初めて言いますが、保志くんは私の同期です。(年齢は保志くんの方が年上ですけど)

 

昨日、至る所でたくさんお名前が挙がって来たので保志くんのことを書こうと思います。

たぶんこのへんの話題はほとんどの人に言ってないかもw。

 

というか封印していた過去かもw。

 


実は私。

 

声優になりたかったんです!

 

高校3年の時。

親に着いて来て貰いながら、東京にある声優養成所の試験を受けました。


そして、高校卒業と共に上京。

週1のレッスンに通うことになります。

 

 

この養成所は初級科、中級科、本科とあって、一年毎に試験を受けて上にあがっていきます。が、落ちるとまた同じ科で一年レッスンという流れなので、クラスには初級5年目、7年目というヌシみたいな人がゴロゴロいました!

ああはなりたくないと思って、理想は3年で養成所を終え、デビューすることでした。


1年目の初級科は神宮寺弥生先生に学びました。


今思い出しても神宮寺先生はめっちゃ怖かったです!当時、実技課題で演劇公演をやることになったんですけど、私はピアスをしてて「演技中に人に怪我させたらどうすんだ、取れや!ムキーと言われて、とくに絡むような芝居でなく会話劇でしたけど先生が怖くて穴を塞ぎました😭


2年目は中級科に上がり、鈴木れい子先生のクラスで保志くん出会いました。

仲良し5人のなかに保志くんもいて、だいたいいつも固まってレッスン受けたり、ご飯食べに行ったりしてたと思います。

 

保志くんは当時から年上とは思えないくらい見た目も可愛らしい人でニコニコ、声も透明感があったし、芝居も上手かったので、絶対売れると思ってました。

 

 

そんなある時。

 

れい子先生が仕事で来れない時にピンチヒッターで声優の沢木郁也先生が講師を務めて下さいました。


たぶん、ここで運命の輪が動き出したのかも。


その後、私は沢木さんに気に入って頂けて、中級クラスから本科には上がれなかったんですけど、私と保志くんは沢木さんのクラスに引き抜かれました。その時に沢木さんに言われたのが「れい子さんにはお前のどこが良いのか分からないと言われた」そうですが(笑)、「俺はお前と保志は売れると思ってる。絶対デビューさせてやる」と言ってくれてました。

 

なのに、私ってば😭


沢木さんのクラス2ヶ月目で養成所を辞める決断をします。


その理由は沢木さんのクラスに入った同じ年、私はたまたま観に行った小劇団に心を奪われ、オーディションを受けて劇団員になっていたのです。

 

とはいえ、まだ養成所の身分なので二足の草鞋は全然問題ないのです。

ただ、田舎から引っ越して来た私は家賃や生活費でアルバイト生活、養成所と劇団費の支払いを両立して続けることが出来ませんでした。


事務所に退所連絡を入れてすぐ、沢木さんから家電(あの頃はスマホもラインもない時代)に電話がかかってきて有難くも引き留めて貰えました。それでも、私は頑なに辞める決意を変えられませんでした。


保志くんからも電話がありました。

 

その時に言われた言葉を今でも覚えています。

 

「え、辞めるって本当なの? やだよお願い、辞めないでよ。一人にしないで(T T)一人は怖いよ。寂しいよぉぉ」

 

と、ワンコのように可愛くすがられました。←(年上)


あの時は本当に申し訳なかったなあと思ってる。


意地なのか、なんなのか。


すんなり本科へ行けなかったのが悔しかったし、そのたった一つの挫折で私には声優は向かないと思っちゃったんですよね。沢木さんに目を付けて頂いたのは嬉しかったんですけど、自己肯定力の低い私には響かなかったんです。

 

それにあの頃は週1でレッスンを受けるよりも、体全体で表現できる演劇の方が楽しく思えてしまったんです。

 

そうして養成所2年2ヶ月目で私の声優への夢は絶たれ→劇団で3年という時間を過ごすが、その間、劇団員の上の方が結婚出産の時期と重なり、1年以上も公演を打たない時期が続いて、若い時間を無駄にして悶々と過ごしてしまう→その結果、劇団を退団して自身で旗揚げ、という茨の道を選んでいくんですよねええ。

 

 

 

進めば進むほど、大物にはなれない道・・・。

 

 

沢木さんには今でも感謝しています。

 

誰にも褒めて貰ったりしたことがなかった田舎臭い私に「未来がある」と信じて下さった。

それなのに期待を裏切ってしまったこと、引き留めて貰えたのにその腕を振り払ってしまったことを今でも後悔しています。

私が私を信じられなかったのですおバカさんですね。えーんそして今もまだ答えを出せずに、茨の道を抜け出せずにいます)


ストイックというか、ドMなんでしょうね、私。


ガラスの仮面みたいな、昭和を絵に描いたような泥臭い道をいつも選んでしまう…。

 

その反対に、保志くんは売れっ子声優になっていくんですけどねえええ。

 

あれが運命の分かれ道だったのですね~~~~~~。

 

 

でも、負け惜しみというか、タラレバだけど、あの当時から女性声優はアイドル化が進んでいたし、芸能界も声優も女性は若い頃しか使われないので、当時20代前半でしたけど、もう若くないって言われてたし、たとえデビューしていたとしても、すぐに消えちゃってたかもしれませんからね。


私の不運は女に生まれたことと地方に生まれたことです!

 

もう一人、超絶売れっ子声優の同期がいるのですが、その人も男性だしね。


その同期が誰なのかは・・・・

 

 

 

 

 

 

ひみつチューハート

 

^^

この写真は94年3月なので、28年くらい前なのかな。

れい子さんのクラス修了の打ち上げだったと思う・・・

私、田舎から出てきたばかりでメイクもしてないしぶちゃいく…。

後ろにいる保志くん、持ってる公衆電話が時代を感じさせますね。

 

※もう一人の同期はこの写真のモザイクの人ではありません。

 

ではでは。