1990年頃に関東地方で男の子として生まれました。

小さい頃からおままごとをして遊んだり、お人形を集めるのが好きでした。
自分の体は男だということを認識していても、髪を伸ばしたり可愛い服を着たりする夢をよく見ました。成長したら女性になるんだと小さい頃は本気で思っていました。
 
小学校に入学すると、周りの女の子はみんな赤いランドセルを持っているのに自分は黒。その頃には自分が男性に分類されて、将来はお母さんじゃなくてお父さんみたいになっちゃうのかーっていう現実を知って、なんとも言えないモヤモヤした気持ちを抱えていました。女の子と一緒に遊ぶことが多く、時々服を借りて女の子の格好をして遊ぶこともあり、そうするとパズルのピースがピッタリはまるようなスッキリした気分になりました。
小学校高学年になると少しづつ二次性徴が始まり、男になるのが恐怖でした。そして胸が大きくなって可愛く成長する周りの女の子と一緒にいるのがつらいと感じるようになり、中学・高校は私立の男子校に行くことにしました。
 
中学に入ってから本格的に始まった二次性徴が嫌で、ザクロジュースや豆乳など女性ホルモン作用があると話題になったものを手当たり次第飲みまくったりしました。学校生活の方は、あまり男友達と馴染むことができず、休み時間などはいつも勉強して過ごしていました。その頃にはドラマの影響で性同一性障害という言葉を知り、自分もそうだと確信しました。今までの違和感の理由がわかって安心したと同時に、治らない病気にかかっているのかという絶望感も感じました。生きていること自体が辛くて、その頃は自殺することばかり考えていました。親から「悲しいから自殺だけはしないで」って言われて育っていなければ、今ここにいなかったかもしれません。
 
高校生の時に声変わりして身長も高くなり、ますます男らしくなっていくのに耐えられなくなり、インターネットで知った個人輸入サイトで女性ホルモンを購入し、自己判断で摂取するようになりました。胸の成長など女性としての二次性徴が来たことがとても嬉しかったのですが、プールの授業や健康診断に参加することができなくなって、その日は仮病を使ってサボりました。下着はその頃から女性用を使うようになりましたが、外出する時は胸をサラシで隠していました(隠さなきゃ目立つほど成長しませんでしたが念のため(泣))。その頃に精神科にホルモンを自己判断で服用していることを相談し、性同一性障害の診断を受けました。母親へは精神科へ一緒に行くことで母親にカミングアウトしました。
 
現役の時は大学受験に失敗し、某予備校にて浪人生活を送りました。現役の時は特に行きたい学部はなかったのですが、声を出さなければ女性だと思われる程度に中性化しており、病院に行って男性の保険証を見せるのがすごく嫌で、病院を極端に避けていました。将来病気になったらどうしようかととても不安だったので、「だったら自分で自分の病気を診られるようになればいいじゃん!」と思い、医学部を目指すようになりました。(動機が不純(汗))
 
数年浪人したのですが、某国公立医学部に入学することができました。名前は通称名にして男性として入学できたのですが、男性の同級生が苦手で、女子グループに混じって行動していました。最初のうちは我慢できたのですが、だんだんと周りの子と同じように「綺麗になりたい」「女の子として普通に生活したい」という思いを抑えることができなくなり、友達に性同一性障害のこと、女の子として生活したいことを相談しました。結構覚悟を決めて相談したのに、「やっぱり。というか、今更!?ほとんど女子として扱ってた(笑)」みたいな反応されたのは肩透かしというか・・・いい思い出です。
 
これまでは下着は女性用、胸はサラシ、服は男性用かユニセックス物を使っていましたが、徐々に女性用に変えていき、学校以外ではサラシをしないでブラジャーをつけて化粧もするようになりました。少しずつ女性としての生活の割合を増やしていき、友達の協力もあって大学でも女性として生活できるようになりました。最初のうちは男子からいたずらされたりしましたが、そこは女子の結束力で撃退しました(笑)
友達に恵まれてるなって思います。本当にありがと!

(続く?)