1770年、フランスのブルボン家とオーストリアのハプスブルグ家の政略結婚によってルイ16世とマリー・アントワネットは結ばれた。2人はまさに多くの人々が知る「中世ヨーロッパの豪華絢爛な美しいフランス」そのものだった。1774年にルイ16世が国王に即位。長男が結核を患い7歳で亡くなった為、次男であるルイ・シャルル(後のルイ17世)が王太子となった。


 17897月、フランス革命が勃発。ルイ16世とマリー・アントワネットは処刑され、ルイ17世は幽閉されていたタンプル塔で10歳の若さで亡くなってしまう。だが、塔の中で亡くなった少年は偽物で、本物のルイ17世は生きているという噂が後を絶たず、実際に自分がルイ17世だと主張する者まで現れた。


 20世紀に入りDNA鑑定によってその謎は大きな進展を見せる。タンプル塔で亡くなったルイ17世のものとされる200年前の心臓のミイラと、ハプスブルグ家に代々伝わるロザリオの中から発見されたマリー・アントワネット等の毛髪をDNA鑑定したところ、心臓はルイ17世本人のものと断定された。その心臓は、現在もフランス王家の墓があるサン=ドニ大聖堂に両親と共に眠っている。