僕がこのブログを知ったのは、あるサイトで去年まで、書かれていた日記が、今年のはじめに読もうと思ったら「おやっ、デザインが変わっている」と思っただけだったが、その日記の内容を読むと、日記はブログというモノを使って書いているらしいことがわかった。わかったと言っても、あんまりわからないまま、読者になろうとすると、登録の時に自分のページを強制的につくらされるようだったが、あのサイトを作っっている人は、僕の16年来の旧友で、「登録は無料」とこの人が書くくらいだからと安心し、こうして自分も日記を書いている。実は僕も去年の9月から、自分のサイトで日記 を書き始めていたので、今年からこのブログで続きを書くのはいいアイデアだと納得してはじめた。
 ちなみに、このブログの存在を発見させてくれたサイトを作っている人は、僕がスペインのマドリードに滞在していた頃、最後の数ヶ月、同じ建物に一緒に住んで、同じ日本料理店でバイトをしていた当時は画家として油絵を書いていたAKIRA 氏(杉山明)である。
今朝、(イタリア時間11時ごろ)彼に国際電話した。まさか、イタリアからかけているとは思わなかったようで、ビックリされていた。彼も、イタリアではフィレンツェに住んでいたようで、その頃のことを「マヨネーズ」という本として書く予定があると言っていたので、「取材には協力するからね」というと「フィレンツェの住んでいた墓場とか場所はわかんないよね?」とAKIRAさん。話を聞いているうちにわかったのだが、彼は野宿をしていたんだという。

 彼は、ニューヨーク、アテネ、フィレンツェ、マドリッドなど、 十年ものあいだ日本をはなれ、アンディー・ウォーホルに奨学金をもらい、 アジア、中東、アフリカ、南米など世界中を放浪しつづけた。そして現在は、故郷の日光で生活しながら、画家、彫刻家、書道家、写真家、小説家、詩人、 ミュージシャンなど、あまりに多彩な作品群をもつ。

 ここに紹介した画像は、僕らがマドリッドにいた頃、よく一緒にワインばかり飲んでいたので、AKIRA氏は、僕をモデルとしてバッカスを描いた油絵だ。
 彼は、もう数冊の本を書き、書店やアマゾンコムでも購入できる。ちなみに、僕がスペインからイタリアに渡り、生活を始めた95年の頃、手作りの詩集の本「マダム呪呪の夏」をマドリッドから送ってくれたのを今でも持っている。最近でも、僕は2003年の8月と2004年の3月 に日光の自宅にお邪魔している。その時には、少数限定版の「子宮外妊娠」という本をプレゼントしてくれた。僕にはとても影響を与えた人生の師匠である。
 この次日本に帰るとき(2005年も3月)は、出版されたばかりの彼の本を買い座右の書にしようと思う。


nearika

日光のAKIRA氏の自宅で再会し、ボランティアを集めて製作していた毛糸絵画「ネアリカ」に何本か毛糸を貼り付けて、協力者として記念撮影する著者(左下)