幼少のころのマンガ好きから、還暦まであと3年にしてデジタルアニメ制作をはじめた。

僕の本当の苗字からとってタツモトプロというアニメスタジオとして仕事をすることにした。

本名のままで有名な日本の大手アニメスタジオ「タツノコプロ」の「タツ」プラス国内最大のお笑い芸能プロ「よしもと」の「もと」にあやかることができるのでこのニセモノ的名前で無名アーティストのペンネームとしてスタートしてみた。

 

アニメとお笑い演芸それぞれ別の業界のタツノコとよしもとだが、前者の創始者吉田辰夫氏は京都出身で、後者は言わずと知れた大阪の会社だ。

どちらも関西のテイストで楽しさをお茶の間の届けてきた。

 

 

思春期に入ったころ、当時の我々若者が持っていた画家、マンガ家などのイメージと将来性の乏しさからか、自分にとって得意なことを伸ばすのではなく、同じ世代の異性にモテること、たとえばスポーツなら何が何でも野球が上手で、音楽と言えばギターが弾ける。

僕には3学年上の兄がいて、彼はまさに野球とギターの才能を与えられた奴だ。

 

あのころはアニのようにならなくてはならないと思い込んでいたが、社会人になって時が過ぎ、ヤツはとうとう還暦の歳になるまで女性との縁がなかったが僕は自分でいうのもなんだがヤツに与えられたものはなく、ヤツに与えられなかったものは僕はもっていた。

教訓、モテようとして好きでもないことを上達しようとするよりも、誰からもモテることでなくても得意なことを伸ばして成功する方が結果的にモテるというものだ。

 

そうして思春期には放り出してしまったまんが道だが、マンガ好きでなくても誰もが読んでいた少年ジャンプをはじめとした商業的なマンガ雑誌からかえってマンガから遠ざかった反動からか、大人向けの芸術的マンガへは自然にのめりこんでしまった。

20歳を過ぎたころ時間的精神的余裕が出来たらマンガにかかわることをぜひやってやろうと密かに温めてきて、それから30年以上過ぎてついに、まわりまわってそれはあちらからやってきた。

 

海外に住み、日本好きな現地の人々の多くはマンガやアニメ好きなのだから、マンガアニメを語らない手はない。

 

物心がついたころアニメや漫画雑誌で知った今でも大御所と言えるマンガたちはみんなトキワ荘出身だった。

 

「鉄腕アトム」などで知られる手塚治虫ら戦後の漫画文化を支えた巨匠を輩出した木造アパート「トキワ荘」(東京都豊島区南長崎)の復元施設「トキワ荘マンガミュージアム」が27日、7月7日の開館を前に報道陣に公開された。3月下旬に開館予定だったが、新型コロナウイルス感染拡大の影響で延期されていた。  トキワ荘には昭和20年代後半から30年代にかけて、手塚や石ノ森章太郎、赤塚不二夫らが暮らし、老朽化のため昭和57年に解体された。ミュージアムは30年代半ばの外観を忠実に模してつくられ、2階の4畳半の居室も机や家具などを可能な限り再現。漫画家らの当時の生活が感じられるつくりとなっている。1階は企画展示などが行われる。  一般公開は予約制で、28日から公式サイトで予約を受け付ける。入場無料。

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トキワ荘マンガミュージアム

 

社会人になってからマンガが芸術であることを教えてくれた「ガロ」

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【漫画雑誌】ガロ「日本の前衛漫画雑誌」

ガロ / GARO

日本の前衛漫画雑誌

 

前衛マンガ雑誌「ガロ」

 

 

時はかわって2021年のウィズコロナ時代に僕はYouTubeで気になる

このアニメーターYouTuber「はじめまして松尾です」チャンネルの登録者数は2021年4月21日現在で86万1千人で、どの動画も再生回数は100万を超えており、特にここにシェアしているものは、なんと900万回に近づこうとしている。すごい。

海外では多く、日本では珍しい「会話劇アニメーション」だが、ストーリーも会話をとにかくぶっ飛んでいる。

 

あまり公表していないので推測するしかないが動画で聞き取れる言葉から関西圏の出身者のようだ。

そして現在芸大の学生21歳のようで、地名を入れている動画から行動範囲は京都辺りではないかと思える。

 

 

 

コンピュータとインターネットの時代だからこそ紙にササっとマンガを描くようにアニメを作成できる時代が来た。

彼は関西のユーモアをアニメというアートとネットというツールを使って配信し、時の人になった。

 

この時代に彼の年齢であれば僕もこういうことをしてみたかった。

だが今の僕だから出来ることもある。特に若い人たちにその道を進むのを助けてあげることを。