人生においていろんな学び方がある。

もちろんより教育レベルが高い小中高大学に入り一流企業や官僚に入るなどなどの一般に「エリート」と呼ばれるような生き方。

 

僕が生まれ育った地方にはそういうハイレベルな教育機関はなく、その地域の高等学校、勉強が好きならやはり今日とか大阪という大都市の大学や専門学校で学ぶか「手に職をつけて」職人になる、あるいは資格を取ってその免許証で仕事をするという「地味な人生」を歩むのが当たり前だという環境で育った。

 

ところが戦後19年に生まれて貧しかった日本が高度経済成長によって目まぐるしく発展し変化しているのを見てきたティーンエージャーまでは、テレビの普及、そしてマンガ雑誌がどこへ行ってもあった。

そしてティーンエージャーからは、マンガやアニメそしてテレビドラマの世界で生活したくなるのだった。

 

高校時代地元旅館でのアルバイトで生活力がつきはじめたまたま女子高生たちへのサービスだったことからその一人が大阪から来た女の子でその夏つきあっていて、大阪まで遊びに行ったのがきっかけで、当時「日刊アルバイト情報」や「日刊アルバイト速報」などと言った雑誌にはつねに求人広告が溢れていた。

 

1960年代末から80年代半ばに学生だった人にとっては『日刊アルバイトニュース』のほうがなじみがあるかもしれない。『an』のルーツは67年創刊の情報誌『アルバイトニュース速報』で、翌68年に誌名を『日刊アルバイトニュース』に変更、さらには86年に『an』へと再変更した。00年にはネットの求人サイト「Web an」がスタートした。(エコノミストオンライン)

 

これらの雑誌によってアルバイト(arbeit独、仕事という意味)という言葉が日本で使われるようになり、現在でもいわゆる「バイト」と呼ぶ日本独特の雇用体制が出来上がった。

 

アルバイトに職種には制限があるが自分の能力と目的によって選択しその仕事は将来のための体験となる。

ただアルバイト生活に慣れてしまうと正社員としてほぼ終身雇用されることを幸福だという一般人の生き方が堅苦しいと感じて、最初のアルバイトの仕事が居心地よく、得てしてそこへ帰ってしまうことが幸福であると感じることがあるようだ。

アルバイトばかりして一生を過ごす人をフリーターという言葉が日本で使われるようになったのもこの流れからだ。

 

雇われ人生はもう無理だと悟ったことで、フリーランス、自営業で生きて行くことを僕は決める。

社会の荒波にもつねに生きて行ける技術としては調理師免許をとって調理知識をもって海外に出たのは正解だったようだ。

飲食店では当時寮もあり食べることの心配もしなくてよく、転がり込む駆け込み寺というか、腰かけで働く人が多い職場という特徴がある。

自営業としても可能性に挑戦しながら海外ではやはりかなり制限がありながらも料理の世界以外では日本人を相手に観光の仕事をしたことも大きな財産となった。仕事経験は自分への投資だ。

 

日本のバブル経済崩壊、湾岸戦争、サーズ、そしてコロナによるパンデミック(これより10年以上前に観光から手を引いているが)と、イタリアから日本への流れはビジネスにならないと悟りその逆のことを小さなアソシエーションからはじめて20年を迎えた。

両手で数えるほどの協力者、いわゆるバイトのおかげで気がつけば会社を経営しているわけだが、振り返れば学生アルバイトからはじまった。フリーランスのおかげで通訳、翻訳という仕事、テレビや映画出演という外国で生活しているからこそできるような仕事のチャンスにも恵まれた。

 

海外でも日本でいうアルバイトに似た働き方がないわけではない。パートタイムと呼ばれたり、ただ単に正社員として雇われていないだけだったりする。

多くの場合彼らの望むところではなく仕方なくそうなってしまったようだが、どうせなら日本でいういわゆる「バイト」を人生経験の勉強の場として、学歴のように、あるいはそれ以上に評価されてしかるべきではないだろうか。

もしかしたらむかしは当たり前に存在した「師弟制度」がこれからの時代に適しているとして復活するのかもしれない。

 

おそらく全世界が「中世」に入ろうとしている今、生き残り術としてこの生き方が正解だと世界中が評価することになるかもしれない。