門に三つ鱗紋。
鎌倉幕府滅亡の折、最後の執権第14代北条高時の弟四郎慧性の夢枕に、日頃信仰していた江ノ島弁財天から「上野の国邑楽郡の郷に清浄の霊地あり、その地に行き塁を築いて居住し、時の到るを待つべし」とのお告げがあった。そこで慧性は荒間五郎朝春 と重臣の垣上駿河守正信、小久保図書、安藤安綱の主従らと共に夜陰に紛れて逃れ、多々良沼のほとりに辿り着いて居を定めた。
由緒書きより
おわかりいただけだだろうか?
薬師石仏
立派な手水舎
本堂。彼岸花祭りで境内に露店が出ています。
鐘楼
観音像
多々良沼の弁天堂は恩林寺のもので御神体は普段は恩林寺の本堂に祀られています。