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大学時代、一緒に映画を制作していた仲間がいた。
あるものは脚本家になり、あるものはゲームソフトの演出をし、ぼくはCMの演出になった。
仕事上での繋がりを、より強固にするためface bookを始めて2か月ほどたって、台湾から申請が届いた。
大学時代、ともに映画を作っていた仲間、呂さんからである。
奥さんと二人で芸大に留学していた呂さん。
にこにこしながら、「沈めるぞ」と脅しをかけてきた呂さん。
懐かしい思い出が次々とよみがえる。
当時呂さんに、電車でのエピソードを聞いたのを思い出す。
奥さんと二人でシートに座っていて、外国人(中国系)だと分ると、汚い!どけ!と日本人になじられたのだそう。
酷い話である。日本人に、そんな奴もいるのかと驚いた。
ぼくが数年前にオーストラリアに行った時、同じ目に会った。
モンキー!
いきなりすれ違いざまに言われた。唾を吐きかけてきた奴もいる。
白人社会で、いかにアジアの人間がバカにされるのかを体験した。
しかし日本では、白人には優しく、アジア人には厳しいという不思議。
今でこそ韓流ブームでアジアの見方が変わって来たものの、同じアジア人でおかしな話である。
呂さん、今は台湾でCMのプロデューサーをやっているそうだ。
一緒に仕事しましょう!
心強い言葉をもらった。
台湾からの便りは、親友からの嬉しいメッセージだった。
今日は最後の日である。
なにが最後かというと、長年勤めた会社がなくなる日。
7月1日から合併による新会社がスタートする。
なにが嬉しくてここまで勤め上げてきたのだろうか。
辞められない事情としがらみの中であがき続けた20年。
右も左もわからぬ社会人一年生
誰にも認められず、お荷物扱いのまま8年を過ごし
辞表を提出して、説得されたあの日
広告制作に目を向け、がむしゃらに走り始めた10年目
ふと立ち止まり、周りを見回すと、自分の価値が上がっていた
けなされ続けたあの8年間は無駄に過ごしてしまった無念の時間
媚びる事は出来なかった、うまく立ち回ることも
人生の時間は決まっているのに、無駄が多すぎた
悔やんでも悔やみきれない会社での20年
それが今日限りで、いったんの幕を閉じる
なんだったのだろうか、この歳月は
新会社の式典が明朝Bスタジオにて執り行われる
セレモニーでのオープニングムービーを演出・制作した
どんな気持ちで、明日スクリーンを見上げるのだろう
20年目の自分は