『弊社としてはそれが通常通りなので、問題だとは思いません』
それがBESS富士の最終回答でした。
全く説明になっていません。
『それが通常通りだから問題ない』?
いつも通りにやったかどうかが問われているのではありません。
いつも通りかどうかに関わらず、そこに過失があったのかどうかが問われているのです。
業界的に、十分な水準でやってくれてるの?
近隣の皆さんに私が聞き取りをしたところ、同じ河川沿いの3軒隣のお宅は数年前に積水ハウスさんで建てたお宅でしたが、施主から河川放流を依頼するまでもなく、なんのトラブルもなく河川放流で工事してもらっています。
法令上、本当に問題ないやり方だったの?
何度も言うように、BESS富士は「藤枝市開発許可技術的指導基準」に記載されている技術基準を満たしていません。
契約上、それが許されることなの?
契約書には、施工の技術基準の項目に「建築関係法令(建設省告示、国土交通省告示を含む)」と記載してあります。
そして、「藤枝市開発許可技術的指導基準」は都市計画法に基づき国土交通省が告示している開発許可制度の運用にあたって、藤枝市が開発者向けに定めている基準です。
契約の上でも、法令と照らし合わせても、道義的にも社会通念上も、BESS富士の『通常通り』が普通で正しいとは思えません。
それなのに、
『僕らは、これでやらせてもらってますから』
なんてセリフは、ぼったくりバーのそれと同じレベルにしか聞こえないのです。
思い返してみると、初めからそうでした。
問題発覚当初の説明でも、
「道路側溝があれば、そこに放流するのが普通」
「それが当たり前で、それしか選択肢はない」
と言っていましたが、その根拠を求めると
「根拠はありません」
という回答だったり。。。
BESSの言う『普通』『当たり前』っていったい、何なんでしょう?
依頼主である施主の求めを無視し、近隣住民の存在を軽視し、法令も契約もないがしろにしておいて、それが『普通』?
私には理解できませんし、そんな説明では到底納得出来ません。
BESS富士とのやりとは、いつもこうです。
説明を求めても回答は的外れで論理性を著しく欠いており、全く会話になりません。
そうやって、ただひたすらその場をやり過ごし、ユーザーが諦めるよう仕向けてくるのです。
少々極端に言うならば、それは、まるで偏った思想に傾倒している宗教団体を相手にしているような感覚で、そんなやり取りを繰り返す度に、常識や良識が全く通じないことで虚しさと憤りが募っていくのです。
それがBESSの戦略的なモノなのか、能力的なモノなのかは、分かりません。
戦略的なモノだとしたら非常に悪質で許し難いですし、能力的なモノだとしたら非常に遺憾で呆れるばかりです。
当初の私は、「担当の能力的な問題なのだろうか」とも考えていましたが、少なくともそれだけではないことは分かりました。
BESS富士は、設計も現場監督も、所長も含めて、話をすると全員が同じなのです。
ただ、私はこの頃はまだ、体質的要因と能力的要因のいずれにしても、それはBESS富士に限ってのことだと思っていました。
ですから、BESSパートナーズ本体へ話を持って行けば、まともな対話ができるものだと、まだ希望を持っていました。
それは弁護士さんも同様で、「BESSは仮にも全国規模のそれなりの会社なので、少なくとも本体はまともな話をしてくれるはず」と考えていたのです。
予定通り、BESS富士との対話は終わりにして、相手をBESS本体へと切り替えることにしました。
登記情報にあるBESSパートナーズの代表取締役宛に文書を送ることも考えましたが、まずはBESSのホームページに記載されている『BESSユーザーお問い合わせ』に問い合わせることにしました。
ホームページにも『BESSの家にお住まいの方、及びご契約の方の「BESSの家」に関する困りごと』は、ここが窓口と記載されていますので、そこを通して話をするのが正攻法でスマートだと思ったのです。
問い合わせは代理人として弁護士さんがしてくれました。
ですが、『BESSの家にお住まいの方、及びご契約の方の「BESSの家」に関する困りごと』へ対処するのが仕事であるはずのこの窓口も、何一つまともな対応をしてくれないのでした。
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