20代の頃からずーっと続けている「シネママラソン」。年間100本の映画を観ること。2014年も懲りることなく挑戦を開始しました。今年に入って既に5本の映画を観ましたが、特に「ファッションを創る男 カール・ラガーフェルド」と「ファイアbyルブタン」は秀逸で、私的にはさっそく★★★★★と高評価です。

学生時代とは違い、最近は思うように時間が取れず、年間100本への道のりは気が遠くなるほど険しいものがありますが、それでも途中で投げ出すことなく、どんなに息切れしようと、足の血豆が破れようと、メロスよろしく走り続けている自分がいます。それはきっと、シネママラソンの完走者でもある“憧れの先輩”の存在が私の背中を押してくれているからに違いありません。

人気脚本家の内館牧子さん。彼女が脚本家になろうと決心したのは30歳の時。長いOL生活を経て39歳でTVデビューを果たした遅咲きの人です。途中「もう年だし、自分には無理かも知れない」「やはり才能がないのではないか」と悩み迷った時期もあったそうですが、彼女は自分自身に“宣戦布告”をし続けました。たとえば、会社勤めをしながらシナリオ学校にも通い、仕事の帰りに鑑賞した映画は年間260本。昼休みなどを利用して書き上げた脚本は、50本にも及んだといいます。その後、コンクールに入選し、才能の芽が次々と開花していきました。

私は人生の岐路に立った時、彼女の自伝を何度も何度も読み返しては、努力とは一体どういうものなのかを命に刻みつけて来ました。もちろん私自身は脚本家を目指してきたワケではないけれど、いま現在、写真や映像の仕事をしている私にとっても、映画は一番の「学校」だからです。そういった意味でもラッキーだったかも知れません。一冊の本を通じて、内館牧子さんという「努力の人」と出逢い、彼女をお手本とすることができたのですから。そして、39歳で夢を叶えた内館牧子さんの存在があったればこそ、「夢への挑戦に手遅れはない」というテーマを掲げ、私自身も36歳でサクセスウーマン講座を開講できたのだと感謝の思いでいっぱいです。

そんな憧れの人から、ある日突然「言葉の贈り物」が届きました。かれこれ10年近く前の出来事ですが、私が内館牧子ファンであることをありとあらゆる人々に絶賛吹聴中だった当時、記者をしている友人が内館さんを取材した際、大ファンである私のことを思い出してくれ、ご本人に直接伝えてくれたそうです。内館さんはたいそう喜んで下さり、ご自身の最新刊の扉に「次屋妙子様 二月の雪、三月の風、四月の雨が美しき五月を作る。内館牧子」と、献辞して下さいました。その本は、今も私の宝物です。未だに一度もお会いしたことはないけれど、内館牧子さんはまぎれもなく私の「恩人」です。いつか実際にお目にかかった時、胸を張ってご報告ができるよう、今年はもう一度初心に戻って、シネママラソンを完走してみたいと思います。