リビングルームの片隅に(2024/01/04) | 心のおもむくまま、時の流れるまま

心のおもむくまま、時の流れるまま

いろんな出会いがありますよね

年が明けて 2日目(一昨日の)夜

この曲が 頭の中に流れ出した

 

 

スティーブ・ウィンウッドは思い出したが

曲名は 思い出せなかった

マンドリンの音は覚えていた

 

 

昨日の夜に

「スティーブ・ウィンウッド ハイライフ」と入力して

 Yahoo!で検索したら ヒットして出てきた

 

 

ビデオクリップの映像も そういう感じだが

聴いていると 昔の我が家に帰ってきた感覚になる

(実際は、昔の我が家は、私には無いが)

 

 

Steve Winwood - Back In The High Life Again (Official Video)

 

 

彼のこと自体も あまり知らない

歌うだけの人なのか?詞も曲も書く人なのかも

 

 

まず彼は、1948年5月12日 生まれで

イギリス・バーミンガム出身

 

 

この曲は1986年に発表したアルバム 

『バック・イン・ザ・ハイ・ライフ』

(Back in the High Life)に収録

ソロ名義では4作目のスタジオ・アルバム

 

 

収録曲のほとんどをウィル・ジェニングスと制作

ウィルが詞を書いたよう

 

 

歌詞を和訳されたモノと

Back in the high life againの曲が出来たいきさつを

下記に↓

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●対訳
 

自分の人生とはかくもこれほど早く過ぎていくのかと
かつての僕は思っていた
(人生の)心地よい部分でも長続きさせるのであるならば
僕はゆっくりと時間をかけなければならなかったんだ


でも君は走るために生まれたのだから
減速するだけでもとても大変なはずだから
街の明るい場所に戻って来た僕を見て
驚かないで欲しいんだ

 

 

かつて君は僕にとって人生を
活き活きさせてくれた最高の人だった
君はまだそこで
かつてのような君であって欲しいと願う


僕たちは楽しく過ごすだろうし
朝日が昇るまで踊っているだろう
素敵な時が流れれば
僕たちは最期まで止まることはないだろう


僕はまた全盛期に戻ることにするよ
自分自身で一度は閉めたドアを
全てまた開けるんだ
僕はまた全盛期に戻ることにするよ
一度でも僕を見たことがある人々の目は
笑って僕を受け入れてくれるはず


手間をかけることもなく
僕は飲んだり踊ったりするつもりさ
世界はすぐにでも手に入る
照準を定めよう
また全盛期に戻るんだ


僕はまた全盛期に戻ることにするよ
自分自身で一度は閉めたドアを
全てまた開けるんだ
僕はまた全盛期に戻ることにするよ


僕はまた全盛期に戻ることにするよ
自分自身で一度は閉めたドアを
全てまた開けるんだ
僕はまた全盛期に戻ることにするよ
一度でも僕を見たことがある人々の目は
笑って僕を受け入れてくれるはず


手間をかけることもなく
僕は飲んだり踊ったりするつもりさ
世界をまた受け入れて
照準を定めようと思う
また全盛期に戻るんだ

一度でも僕を見たことがある人々の目は
笑って僕を受け入れてくれるはず


手間をかけることもなく
僕は飲んだり踊ったりするつもりさ
世界はすぐにでも手に入る
照準を定めよう
また全盛期に戻るんだ

 

 

 

 

the High Lifeが どういう意味かと考えていたが

これを訳した方は、『全盛期』と捉えていた

 

別の方の訳を見ると『豊かな暮らし』と捉えていた

 

 

 

 

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●Back in the high life againの曲が出来たいきさつ

 

ウィル・ジェニングスのインタビューについて書かれている

記事を見かけたので、そちらから↓

 

 

歌詞を作るときは、ウィンウッドとパブに行ってビールを飲んだり散歩したりして一緒に時を過ごし、なるべくそのアーチストの心の中に入っていけるようにするそうです。
Back in the high life againの曲が出来たいきさつが詳しく書かれていて感動的された方が要約した紹介記事 ↓

 

 

 

『ウィンウッドと自分は1984年の秋に次のアルバムに入れる曲の歌詞をいくつか書いた。しかし自分の滞在が終わりになりそうなころに、まだ曲がいくつか足りないことがわかった。そこで自分のノートを開き、Back in the high life againとタイトルが記されていたのを見つけると、突然歌詞の残りがひらめいたんだ。仕上げるのに30分ぐらいしかかからなかった。そしてそれをスティーヴに渡して自分はカルフォルニアに帰った。

 

 

彼がスタジオに入るまで確か1年近くかかったと思う。1985年のある日自分はアルバムのプロデューサーであるRuss Titlemanに電話でレコーディングの進行状況をたずねた。彼は『Higher LoveとThe Finer Thingsはうまくできたよ』と言ったので、Back in the high life againのことをたずねると、少しの沈黙の後、その曲のことはスティーブから知らされていない、と言われた。実際スティーブはまだそれに手をつけてなかったのだ。

 

 

ところで彼は当時の妻との離婚が進行中であり、彼女が荷物を家からすべてもちだしたので、スティーブが自宅にもどった時にはすでに家の中が空っぽの状態だった。しかしリビングルームの片隅にマンドリンが一つおいてあり、彼はそれを手に取り、すでに歌詞が頭にあったBack in the high life againのメロディーを作ったそうだ。そしてこれは大ヒットしてしかもアルバムのタイトル曲にもなったのだ。自分があのとき尋ねなければ見過ごされていただろうから、この曲は最後の最後になってやっと生き延びることができたわけだ。』