「繋がれる命があったとして」 | ✟✟✟蠢く手記✟✟✟

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地下都市DTMの沼に溺れてしまった漢の成れの果て

少しオカルトに聞こえるかもしれないが、おれにとって忘れられない不思議な話を聞いてくれないか。


信じるとか信じないじゃない、確かなおれの実体験だから再稿しておきたくてさ。


ここ数日、お盆の連休をキミはどう過ごしたのだろうか。


おれは連休とは無縁の時間を過ごしていたわけだが、毎年お盆は必ずお墓参りに行くようにしている。



このブログを読んでくれている人なら知っているかもしれないが、幼少期のおれは実母、実父とは過ごせなかった期間が何年かある。



代わりに親代わりをしてくれた叔父や叔母が色んなことを教えてくれた。


夏の伝統や風習。


その中の一つがお盆という風習だろう。



ほんの少し怖いと感じていた。


なぜかって、毎年夏休みになると、提灯を持ってぞろぞろと沢山の身内でお墓に集まり、皆何やら神妙な面持ちになる。


ご先祖様を迎え盆で迎えに行き、送り盆でまた先祖さまをあっちの世界へ送ると。


「普段は遠くから見守ってくれているご先祖さまが、今は近くにいる。」


いないはずの何かが近くにいるという、幼少期に感じた畏怖の念はとてもリアルだった。


そんなお盆の思い出を回想しつつ、この時期は今は亡き愛犬「ひかり」がいるお墓にも線香をあげている。


15年という長い歳月を生きてくれた愛犬のひかり。


バーニーズマウンテンドッグというスイスの大型犬だった。


東京にいる頃、子犬の時からずっと一緒に暮らしてきて、バンドをやってた頃も、バンドを始める前も、そのために必死だったアルバイト時代も、ひかりとの生活がおれの日常の当たり前だったんだよな。


冒頭で書いた不思議な体験とは、ひかりとの別れの出来事になる。


大型犬は老後、腰を病めることが多くて、自分で立てなくなってしまう頃が寿命の頃だと聞いてきた。


例にならってひかりにもそんな時がやってきた。


それと同時期、おれはおれで生きるか死ぬかの瀬戸際に立たされている渦中。


長い歳月の入退院を繰り返し、ここを踏ん張って生き抜くには、もはや手術しかないと決断したあの頃。


今みたいに制作に没頭するなんて言ってる余裕もないくらいに完全に衰弱していたあの頃。


ひかりはひかりできっともう寿命が短いということを知って、おれと共にお前も逝くのかと気が気じゃなくてね。


満身創痍の中、ついに手術のために入院しなければいけない日がやってきた。


別れ際のひかりは自力では立ち上がれないものの、いつも通り元気だし「じゃーな。生きてたらまた会おうな。」なんて言葉をかけて別れた。


そしてついに手術当日の夜。


忘れもしない、ベッドの上、恐怖と不安で眠れず、深夜0時を回ったころ、突如母親から連絡がきた。


ひかりが今息を引き取ったと。たった今亡くなったと。


それを聞いた瞬間、全身の力が脱力してしまって、これだけの歳月を一緒に過ごしたひかりの最後に立ち会えなかったことが許せなくて止めどもない涙が溢れ出ていた。



おれが感じている恐怖や不安が情けないほどに。


でも、それと同時に考えてしまったことがある。



これは都合のいい人間側の解釈かもしれないけれど、ひかりが手術当日に息を引き取ったということは、まだ逝くなと命を繋ぎ託してくれたのかもな…ということ。


やがてくるおれの手術の日を、実はひかりはわかっていて、元気のない姿をあの頃のおれには見せたくなくてそばに寄り添ってくれていたのかなって。



思考はめぐる。



これを偶然と呼んでいいのかどうなのか今も判断がつかない。



ただ、現実に実体験として経験してしまったからこそ、その度にひかりを想う。



手術当日の日、そしてお盆かな。



強烈に思い出しては色んな感情が込み上げてくるんだよ。


もしかしたら、繋いでくれた命の灯火と共におれは生かされているのかもな。と。


そう考えてあげることが弔いになればいいな。


ひかりと一緒に暮らした15年間、どれだけの癒しを与えてもらったのか。


今年もお盆の頃、幼少期に感じた畏怖の気持ちを思い出すと共に、あいつと過ごした数々の思い出に惜しみない感謝と愛情を送りたい。