突然ですが、感情を殺した文章を書く人も面白いですね。その人がどんな人なのか文章からはボンヤリとしか浮かび上がってこないぶん、より興味が滲み出てきます。

というのも、今日読んだ文章が淡々とその人がプレイしたセックスについて過剰な感情無く綴られたもので、
あった事実を並べながらも、うまい事そこにちゃんと主観と感想が適度に含まれていて「ほー、これはこれで面白いな。」と感心したので冒頭の文に戻る訳です。

感情を殺した文章って表現がイマイチイメージ掴みにくいかもしれませんが、簡単にいうならば心情についての誇張が無い文って感じでしょうか?


たとえば僕の場合は普段、行間を使ったり、口語を使ったりして感情の変化を表したりするんですが、今日読んだ文章はまるで箇条書きの延長のようで、それはそれで何か想像力を掻き立てられる感覚がありました。

「今日は、首にロープを付け四つん這いになって歩き回る姿をずっと見てもらいました。途中ロープで引っ張られている時、自分の中で家畜願望が芽生えるのを感じました。
なぜか触られていないのに射精した。」


これは、今僕が適当に考えた文なんですが、こういう非日常を淡々と書かれていると変な違和感がありますよね。

より変態性が濃くなるというか。


まぁ、内容が非日常的だったり興味深いものじゃなければただのつまらない文章になるのかも知れませんが、やたらと「www」や「!!」を使うのもどうかと思っているので、そんな無感情の文章ってのも悪くないなと。

あらためて日本語が好きです。


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