前回の寓話でもあるように、「自分とは違うという認識」があれば許せるんですよね。


ちょうど今日放送されてた「ボクらの時代」というTV番組で、「外国人だから許されていると思うこと」という話がありました。


外国人タレント3人でトークしていて、楽屋にあいさつ行かなくても、外国人だからと許されているという話。


日本人なら怒るところでも、外国人だからと許せる、受け入れられる、ことがある。


外国人の中にも、人によってそれぞれ個性があります。


男性脳女性脳といっても、人によってそれぞれ個性がありますよね。



個性(こせい)とは、個人や個体の持つ、それ特有の性質・特徴。特に個人のそれに関しては、パーソナリティと呼ばれる。

-ウィキペディア


「みんな自分とは違う個性なんだ」ってことをしっかり認識していれば、受け入れられることは多くなるはずです。怒ることも減ってきます。




▼身体障害者の身体的特徴や精神障害者の症状も個性


2ch掲示板の創設者のひろゆきさんがこんな話をしていました。


ひろゆきさんの会社にはアスペルガーの人がいる。


アスペルガーとは、アスペルガー症候群といって、発達障害のひとつです。


対人コミュニケーション能力が低くて、対人関係がうまくいきづらい障害と言われています。


ひろゆきさんの会社では、アスペルガーの人がたまに変な発言があったりすることもあるけど、「こいつはそういうやつだからとわかっているから」ほっとくんだと。その人が出来る仕事をやってもらっていて、会社として受け入れられているそうです。


「他の会社だと、こいつなに言ってるかわからねーから、クビにして他のやつ入れよーぜってなっちゃうような社会のような気がします」


というひろゆきさんの話。


僕のいまの会社でも、アスペルガーの人がいます。


周りの人たちは「みんなわかっている」んです。アスペルガーといっても、症状が個々に違うでしょうが、その人個人のことをわかっているなーと思うことが多々あります。


こういうのが苦手でも、こっちは得意で出来るとか、そういう個性として受け入れられています。


自分と同じだと考えていると、なんでこんなのが出来ないの?とか、この人わからないなーとか、前回書いた、男女の違いでも、嘆いたり愚痴ったり、イライラしたりしやすいでしょう。




▼自分と他人が同じだといつから錯覚していた?


自分と他人は違う、それぞれ個性が違う。そんなことはわかっているよ。


なんて思う人も多いでしょう。


しかし、本当にそういう前提で考えているでしょうか?



今回ウィキペディアで「個性」という言葉を調べたらこんなことも書かれていました。


「近年では、身体障害者の身体的特徴や精神障害者の症状をも、その人の個性であるという考え方も生まれている。」


障害だったら仕方ない、と受け入れられる人もいるでしょうが、障害だからとか関係ない。


例えば、アスペルガー症候群は、約4000人に1人の割合で発症すると言われています。


でもこれは「診断された数」だけなんですよね。実際はもっと多いと考えられているんです。


障害といっても、診断してもらって、「あなたは○○障害です」と先生に診断されたら、「障害」と言えるだけのこと。


コミュニケーション能力が低いといっても、どこまで低ければ障害といえるのか?国が決めた線引きであったりして、それは時代によって変わったりするんですね。


こういう症状は、A障害です。と昔は言われてたけど、いまは、A障害には、実はB障害とC障害があってとか、研究が進んで細分化されたりするものもあります。


説明がわかりにくいかもしれませんが、「障害だったら仕方ないと受け入れられる」という判断基準はおかしいよねって話です。


「障害」というものが、線引きがはっきりしないし、時代によっても変わるし、診断された人だけ「障害」と認定されるだけのことだから。


障害や病気なら仕方ないけど、障害じゃないなら、みんな(自分)と同じように出来ないとおかしいとか、できなきゃいけないなんてことはない。


障害だろうがなかろうが、多くの人が出来ることを出来ない人だっているし、苦手得意とか個々に個性があります。



このブログで何度か書いたことがある、自分で悪いストーリーを作るという話。


これも、パーソナリティ障害でよくある症状のひとつです。


自分で悪いストーリーを作る人は、よくいるわけです。


そういう障害と認定されていなくても、対人関係苦しいなとか、アスペルガーと認定されていなくても対人関係が苦手で生きずらないなーという人は多くいるわけです。




自分が当たり前に出来ること(みんなが出来ること)でも、出来ない人(個性の人)はいるんですよ。


実際にあった話で、大勢と一緒に食事するのが苦手だという人。


4人で食事行こうって話しになったときに、「私は大勢が苦手で」という。


その人がいなくなってから、「4人って全然多くないよね?なんでいけないの?」て言う人がいた。


最近ブログで書いた定義の話もありますね。


「4人は全然多くない」ってのは自分の定義だよね。


4人で食事に行く話しで、「私は大勢が苦手で」と言う人の定義では、4人は多いということなんだよね。


4人は多いといえるのか?どっちが正しいのか?


それぞれの定義で正しい。


相手を理解するときに、自分の定義はどーでもいい。


わかることは、その人は「4人は多くて行くのは難しい」ということ。


その人の見えている感じている世界は厳密にはわからないとしても、その人がいう大勢が苦手というのはわかってあげられるよね。


そういう個性の人なんだよね。



例えば、潔癖症の人で、バスや電車のつり革はつかめない。


僕自身はつり革はまったく気にせずつかめるので、どういう世界が見えているのか厳密にはわからない。


でも、潔癖症でそれができない人がいて、そういう個性だというのはわかる。



前回書いた話のように、女性はわからないなー難しいーとか、潔癖症の人がわからないとか、別に思わないわけです。そういう個性だという捉え方をしているから。



いつも遅刻する人もそうです。そういう個性なんです。


なんでいつも遅刻するの?なんでなんど言っても直らないの?


そういう個性なんです。



真面目な人ほど、遅刻に対してすごく腹立てたりすると思うんです。


「遅刻は悪い」という固定観念もたぶんあるでしょう。



良い悪いは見方や解釈の問題があります。


どうして遅刻は悪いのか?


遅刻が悪いと考えている人には、その人の考える「正しさ」があるでしょう。


周りに迷惑かけるとか、社会人としての常識とか、色々正論はあるでしょう。


しかし、それはひとつの見方解釈に過ぎない。それが間違っているという意味ではないですよ。


一般的にも「遅刻は悪い」と言う方が多いと思います。


でもそれが絶対的に正しいということではないという話です。





「成功者」と呼ばれるようになった人の話。


その人はサラリーマン時代に遅刻ばかりしていた。


それでよく怒られていた。


「時間も守れない奴は社会で通用しないぞ!」


これは正しいでしょうか?


しかし、その人は会社を辞めて、自分で事業をはじめて成功者と呼ばれるようになったんです。


相変わらず、遅刻はよくする人です。


その人が言ってました。


「昔は、遅刻してよく怒られてた、否定されてきた。いまでも会議とか、仕事の関係でも遅刻してしまうけど、肯定されるようになった。」

「○○さんさすがですねー、時間にしばられない大物ですね、と(笑)」



他の人でも、遅刻ばかりしてクビになった人がいた。


会社員に向いてないんだと思って、自分で事業はじめて大富豪になった人もいます。




メンタリストDaiGoさんも遅刻をよくする人です。そういう個性の人です。


1日10冊20冊の心理学の本を読んだり、論文まで読み漁ったりするくらいの人です。


自己コントロールや習慣の身につけ方、心理とかすごく詳しいです。


それでも自分の遅刻だけは直せないと言ってました。


時々人に言われることがあるそうです。「遅刻しない方がいいよ。信用失うよ。仕事なくなるよ。」


それでも、DaiGoさんの中では、遅刻する個性を受け入れているんですよね。


その上で、自分に出来ることをやるしかないわけです。


実際に仕事も順調で困ってないわけです。(いまは大丈夫でもいつか困るんだと思う人もいるかもしれませんが;)




▼自己受容、他者受容


自分が何か出来ない、苦手でも、それが自分の個性なんだと受け入れる。許してあげることが大切かと思います。


みんなが出来ないことが出来ないとダメだとは考えない。


そんなことじゃ社会に通用しないとか、お前はダメ人間だと否定されても、そんな話は受け入れなくていい。


誰が否定してこようが、自分は自分のことを否定しない。自分を許してあげる。


ありのままの自分を受け入れる。


自己受容と言います。


心理学では、自己受容と他者受容は比例するといわれています。


自分を許して受け入れられる人は、他人も許せる、受け入れられやすくなるということです。


こういうところがあっても、それが私の個性なんだと。

(開き直りと自己受容は違います)


そういう見方、受け入れ方が出来れば、他人に対しても、こういうところもこの人の個性なんだなと同じように考えられるようになるんですね。




▼その人のありのままを個性として受け入れる


「尊敬とは、人間の姿をありのままに見て、その人が唯一無二の存在であることを知る能力のことである。」

社会心理学者 エーリッヒ・フロム



なんでそれくらい出来ないの?


自分が簡単に出来ることであっても、どうがんばっても出来ない個性の人もいるんです。


自分と他人は違うんです。みんな違う個性があるんです。



常識とか普通出来るとかどうでもいい。出来ない人もいるんです。障害だろうがなかろうが関係ない。



「われわれに必要なのは、他者の目で見て、他者の耳で聞き、他者の心で感じることだ」

アルフレッド・アドラー



この人はこういう個性なんだと受け入れて、その上で自分がどうするか?それが自分の課題です。


男性脳の人だったら、「女はわからない、難しい、なんでこう考えないの?」とかイライラするのではなくて、この人はこういう個性なんだと。


それでは自分はどう対応すればいい?自分に出来ることはなんだろう?


変えられるのは自分だけ。コントロールできる自分に意識を向ける。



この人はこういう個性だからといって、自分が我慢すればいいと考えるのは不健全な考え方です。


我慢は苦しいです。心身ともに不健康になるので、我慢しない方法を考える。



コメントで書きましたが、自分の心を軽くするために、まずは言葉を変える方法があります。


「時間にルーズな人」この言葉だと悪いイメージで嫌な気分が出やすいですよね。


僕自身は、そういう人のことを「時間におおらかな人」という言葉を使います。


今回書いた、「時間にしばられない大物」とかね。


遅刻しても謝らなくいいっていう価値観も、「遅刻が悪い」という固定観念がないということでもある。



「時間にルーズな人」「時間を守れない人」


という言葉で受け入れるのはなかなか難しい。この言葉の前提は「悪い、ダメ」とか受け入れ難いものがあるから。



「時間におおらかな人」「時間にしばられない大物」「自由な人」


という言葉の方が受け入れやすいと思います。








「自分とは違うという認識」があれば許せる



男性は火星人、女性は金星人の寓話

それはすぐには受け入れることのできないものですが、それでも二人は相手は異星人なのだから、こんなことがあって当然、と許し合うことができました。


身体障害者の身体的特徴や精神障害者の症状もその人の個性である



「なんでこれくらい出来ないの?なんでこう考えられないの?わからない」

「みんな違う個性だから、厳密にはわからないのは当然」

しかし、

「こういう個性だという捉え方は出来る、こういう個性だとわかってあげることは出来る」



この人はこういう個性だからといって、自分が我慢すればいいとは考えないように気をつける。