3月になってもまだ寒いですね。


夜、寒い中待っている人をみることもあります。



待ち合わせして、相手が遅刻してきた。


そのとき、自分は、


待っているのでしょうか?


待たされているのでしょうか?



主体的な人間は、「自分が待っている」という捉え方をする。


反応的な人間は、「他人に待たされている」という捉え方をする。



「他人に待たされている」というのは被害者が使う言葉ですね。


あの人に待たされて、寒くてつらい思いさせられた、風邪を引いた。


他人に不満や文句を言ったり怒ったりする。


反応的な人間は、「自分ではどうすることもできない」「自分以外のせい(誰かのせい)でこうなった」、という被害者の世界に住んでいます。



主体的な人間が同じ結果を受け取っても、


自分が待った結果、寒くてつらい思いした、風邪を引いた。


という解釈になります。


誰かのせいではない、自分が寒い中待ったのが原因で、この嫌な思いしたんだと反省して、改善できる可能性があります。


待つか待たないか、自分で選択しているという自覚もあります。自分でコントロールできることだと認識しています。



被害者になるかどうかは、自分で選択できます。


ものごとの解釈は必ず2つ以上あります。


自分がもし、被害者だと思ったら、それは別の解釈や捉え方は出来ないだろうか?と考えてみると何か見つかるかもしれません。


そして反省して改善して、今後同じようなことが起こらないように、自分でコントロールするんです。