実母の愚痴を聞きに、実家に来ています。
母は自分ではそう思っていないようですが、かなりはっきりとした自分の
「ものさし」を持っていています。
それを他者に振りかざして対立したり、自分の意のままに人を動かそうと
争ったりすることはほとんどないのですけれど、その分、自分の心の中に
「鬱憤」を溜め込みます。
時々、そのお掃除が必要なわけ。
いちいちお掃除するよりも、鬱憤溜め込まない方向を目指しましょ、と
言いたいところですが、
母は特に理不尽なことをいうわけではないし、悩んでいるわけでもないし、
「それはこうじゃないの?」「こうすべきだ」と私の持論を展開するより
「そうだね」と相槌をうつのが一番かな、って。
でもちょっぴり、相槌に疲れたーー。
それって母のこだわりが強すぎるんだよ、といいたくなっちゃう。
母の鬱憤はその生き方ゆえに生じてしまいやすいのだけれど、
一方でその生き方は、母を長年支えてきた「杖」。
今さらその杖を改造したり、取替えてしまっては、
かえって足元あぶなくなってしまうよ!
私の役目は「荷を分かつ」でしょ!
と改めて自分に言い聞かせたくて、ブログを書いた次第です。
さて、これから母の作ってくれたお夕飯をいただきます。
なんて贅沢なシアワセでしょう。