冬至ですね。
数年前の今日、姑が天国に旅立ちました。
私は姑の葬儀には出ていません。
どうしても、そこに集う方々と平穏な気持ちで接することができるとは思えなかったので。
家族の理解と協力があったからこそ出来たことです。
姑とは約30年一緒に暮らしていました。
といってもキッチンと玄関は別だし、お互い干渉し合うことはほぼなかったのですが、
住空間を共有していれば気遣い合うことは当たり前。
たとえば、生まれた時から家におばあちゃんがいた子供たちとっては、祖母を含めた人数が自分の家族の人数、といった具合。
特にウマが合ったわけでもなく、かといって諍うこともなく(心の中ではあったけど)、なんとなく折り合いがついていて、別居したいと思ったこともなく、
それでもついに自宅での介護(看病)が手におえなくなり、姑を施設にお願いした時、なんともいえない解放感に包まれたのです。
それは介護からの解放というより、姑の存在感からの解放…やっと「私の時代が来た\(^o^)/」的な。
住まいが「姑の家」から「私の家」に変わった、といえばよいでしょうか。
だからといって姑のものをすべて自分のものにしようと思ったのとは違います。
姑のものは基本、夫と夫の兄弟のもの。
私が感じたのは具体的もの、権利ではなくって「気持ち」「空気」のことだったのですが・・・
でも、傍からは私が我が物顔で好き勝手にするつもりのように見えたのでしょう。
旅先で倒れた姑(元気だったのが高次脳障害で要介護5状態に)を一度、自宅に戻したのは、いい恰好をしたかったのではなく、家族としてごく自然にでた気持ち。
それが周囲から胡散臭がられていたのは薄々わかっていました。
この「姑がいなくなった空間に私たち家族が残った」ことに対しての辛辣な言葉や態度がなければ、私ももっと円満な態度で姑を見送れたかもしれません。
お墓参りには出向いていますが、他の家族と顔を合わせてしまうのを避けたくて毎回日にちを迷います。
もっと堂々とできればいいのですけれども。
施設に出発する日、ほとんど言葉を発することができなかった姑が「ありがとう、優しい人」と手を握ってくれたことが私の支えになっています。