「饗応不尽」

無数のつっかい棒で支えられている生命
時間の上を歩いている生命
自分に会いたい吾等
顧みればあらゆるものから歓待を受けている吾等
この世へお客様に招かれて来ている吾等
見つくせない程のもの
食べ切れないご馳走
このままが往生でなかったら
寂光浄土なんか何処にあるだろう
(昭和41年秋 河井寛次郎)


河井寛次郎という陶芸家をご存知ですか?
明治に生まれ、大正,昭和と京都を拠点に活動した作家です。
この方の書かれた詩に感銘をうけましたぁキラキラ
自分に会いたい吾等―私たちは奥深くにある真の自分を見つけ出すためにこの世に生れてきたのだと思います。
それと、寛次郎さんにとっての、「自分」というのは、自分も他人もない、すべてのものの中にある「一なる大生命としての私」という意味合いも込められていたように思います。
食べきれない御馳走というのは、食べ物のことじゃなくて、美しいものの事の喩えでしょう。
私たちは、多くの生命によって支えられて生かされ、私達の周りには見尽くせないほど、味わい尽くせないほどの美が溢れています。