おめでとう。
今朝ニュース見て思ったことです。
(今朝かい)
一年半前なら言えてなかっただろうなあ…
2018年4月にあのニュースが出てからの約1年半は私にとって、ニノから心を剥がしていく年月でした。
嫌いになったわけではなく、
ただただ、ニノの中の、あのお相手を選んだ部分が残念に感じられて…
私が思うニノ像(の一部)が打ち砕かれた瞬間でした。
その時も書いたのですが、夫婦は合わせ鏡、と言う言葉が、本当にそうだと思うので。
(この場合結婚している、していないはあまり問題ではない)
それと、裏側がいろいろ露出されたこともあり、
「嵐も普通の人っぽいところあるじゃん!」
から、
「普通の人が嵐やってたんだ」と思い知ったといいますか。
(頭では分かっていても、フィルターかかって見てる時はそう思わないので…本当に思い知った、という感じです)
だからこそ、同じ普通の人間として、こみあげる愛しさもあると思うし、逆に「しょうもな」と思うこともあったように思います。
今は穏やかな「好き」だけが残りました。
穏やかな「好き」はすごく楽しいわけではないですが、楽です。テレビ見たら可愛いな、と思うし、国民祭典で歌ってるのを見て泣くほど感動もします。だけど雑誌買ったり、録画をくまなく見たり、そんな風にすることはなくなりました。
おめでとう、と言える人と言えない人がいると思います。
そりゃ一般的にはおめでたいことだから、「おめでとう」と言うのが望ましいことではあります。
言える人と言えない人が何が違うのか?
言えない人は心が狭いのか?未熟なのか?
私はそんなこと無いと思います。
おめでとうと言える人と言えない人は
愛し方が違うだけ。
おめでとうと言える愛し方をしていたのか、
おめでとうと言えない愛し方をしていたのか。
どっちがいいということも、
どっちが悪いということも無いと思います。
だから、おめでとうと言えなくても気にしなくていいし、「言えるようにならなきゃ!」とも思わなくて大丈夫です。
なんなら、結婚して
「おめでとう!」とファンに言われるなんて
正統派アイドルとしては終わってるとも言えると思います。
(そもそも既婚アイドルはアイドルではない、というのが持論ですが)
(自分にとって)アイドルでなくなったその人を愛せるか。
アイドルでなくなったとき、
彼らに残るものとはなんでしょう。
彼らからしか得られないものとはなんでしょう。
そんな風に考えてきた1年半でもあったように思います。
もうひとつ、お伝えしたいことがあります。
今は、そんなふうに思えないかもしれませんが、
結婚したからって
腐った目で見てはいけない、
なんて法はない
、これです‼︎ヽ(・∀・)
私、10代のときから
既婚者の芸能人がらみの腐女子漫画や小説を嗜んでおりました…(笑)
なので腐的な思考で今日のニノちゃんに声をかけるなら、
今まで勝手に腐った目で見て楽しんで、あまつさえ文章にして皆で楽しんでごめんね
これからもよろしくね
、これです‼︎ヽ(・∀・)
また、気まぐれにお話を書く日も来るかも知れません♪
そいではー☆
※コメ返できないかもですが、一応開けておきますね