見えないコンタクトレンズ。 | 明け行く空に…。  ~ひねもすひとり?~

見えないコンタクトレンズ。

朝起きてシャワーを浴びた後に洗面所の引き出しを開けてみると、使い捨てコンタクトの残りがあと一枚であることに気が付く。
左目の視力が右目に比べて悪い僕は、いつも片目にだけコンタクトをいれている。ちょっと前まではメガネも使ったりしたが、右が裸眼でも大丈夫なもんだからただのガラスが入っていて、左だけが厚いレンズになってしまい、何だか左右のレンズの色のバランスが傍目からは悪いらしく、そんな指摘を受けてからはメガネを使うのをやめ、車の運転をする時以外は裸眼で過ごすようになった。
仕事のある日は運転をすることが多いので、朝からコンタクトを左目にいれて出勤する。

今日の帰りにでも、またいつもの店でコンタクト買って帰るか…。



僕には2つ年上で26歳の恋人がいる。彼女は誰もが羨む程の美人で、スタイルも良く、僕にとって自慢の恋人だった。ただ、もう付き合って1年になるというのに、キスから先に関係が進んでいないことが僕にとって悩みの種だった。

仕事を定時で切り上げ、僕は駅前のコンタクトレンズ販売店へと向かって歩き出した。夕方の時間はいつも仕事帰りの客で混雑する店なので、今日は普段滅多に通ることのない路地を横切り近道をしようと思い、薄暗い路地へ進行方向を変える。
僕には急ぐ理由があった。今日は彼女が一人で生活しているマンションに泊まりにおいでと言っているからだ。今まで遊びに行くことは度々あったのだが、どんなに帰りが遅くなっても泊めてくれることがなかった。なのに今日は…。僕は二人の関係を進展させる日がついに来たと、興奮を抑えることができなかった。

薄暗い路地を少し進むと、前にここを通った時には見掛けなかった店があるのを見つけ、その店先に貼ってある広告に僕は目を奪われた。



【見えないコンタクトレンズあります】



その意味が良く分からなかった僕は、しばらくそこに立ち止まって頭を悩ませていた。良く見えるコンタクトレンズって言うならば話は分かるが、見えないってのはどういう意味だろう。とても薄くて目に見えない程とでもいう意味だろうか…。

そんなことを考えながら店先に立ってると、店内から女性の店員が現れて、よろしかったらお試しになってみませんかと、僕を店へ入るように誘う。
まぁどうせ今日はコンタクトを買いにきたんだ、見えないコンタクトってのがどんなもんなのか気にもなるし、別にいつもの店じゃなくても今使ってるのと同じものを取り扱っているだろうから、値段によってはここで買ってもいいだろうと、僕は店員の後に続いて店に入ることにした。



「お客さまは当店のご利用は初めてでございますか?」



初めても何も、こんな所に店があるなんて知りもしなかったよ…とは言いにくかったので、はいと一言返事をした。



「それでは見えないコンタクトレンズについてもご存じないことでしょうから、ご説明させていただきます。こちらの商品をご利用になられますと、世の中に存在する嘘、偽りなどが見えなくなり、大変便利な生活が送れるようになります。」



は?何を言っているんだ?嘘、偽りが見えなくなる…。僕は彼女の言っていることの意味が理解できなかった。



「一度お試しになってみませんか?今なら1枚無料でお使いいただけるキャンペーンを実施しておりますので。」



何だかよく分からないけど、とりあえず僕にはそんな得体の知れないものを目に入れるなんて抵抗があった。でもあからさまに断るのも何だか悪いような気がして、とりあえず今使っているものと同じものがあるのか、そしてその価格がどれくらいなのかという方向に話題をすり替えようとした。
すると彼女がにっこり微笑んで僕に言う。



「お客様、失礼ですが左の前歯を無くされたのはいつ頃ですか?」



一瞬ドキッとした。3年前まだ学生だった頃の話だが、友達と一緒にスキーに行ったときに僕は転倒した拍子に持っていたストックに前歯を打ちつけ、左側の前歯を失ったのだ。だが、その日のうちに歯科医へ向かい処置を施したので、その事実を知るのは当時の友人数人だけのはずだった。その頃、大学へ通うため親元を離れて一人暮らしをしていたので、家族ですらその事実は知らない・・・。奮発してセラミックで出来た高価な差し歯を入れたのがよかったのか、今まで誰からも偽物であることを指摘されたことなどなかったのだ。



「どうして分かったのですか?今まで誰にもバレた事がなかったのに。」



彼女はまた微笑んで僕に言った。



「それは私が見えないコンタクトレンズを使っているからですよ。」



世の中に存在する嘘、偽りなどが見えなくなり、大変便利な生活が送れるようになります・・・。
そういうことか。



「どうです?お試しになられますか?」



まだ若干眉唾な話であるという思いは払拭しきれないが、まぁキャンペーン中につき無料だということなので、騙されたつもりで使ってみることにした。
店員さんに今使用してるレンズの度数を教えると、奥のほうから試供品を左右1枚ずつ持ってきてくれた。必要なのは左だけだと伝えると、左右1枚ずつが無料になるということで、もう1枚のほうはお持ち帰りくださいとのことだったので、僕はポケットに押し込んだ。
そして鏡を見ながら左目にレンズを入れてみる。



「いかがですか?」



店員の問いかけのあとに辺りを見渡してみる。うん、いつも使っているものと遜色はないくらいによく見える。その違いがまったく分からないくらいに違和感はない。
あっ、そうだった。はっと気づき、僕はもう一度鏡を覗き込む。まずは左目を閉じて作り笑いの自分をみた。そこにはいつもと同じ見慣れた顔があった。そして右目を閉じてもう一度自分の顔を見てみる・・・。
ない!確かに左目で見た鏡に映る顔には、そこにあるべき差し歯が映っていない。本来あるべきところはまるでぽっかり穴でも開いたように何もないのだ。
僕は何度も右を閉じたり左を閉じたりしながら、目の前で起こる不思議な現象を繰り返してみた。



「どうです?今日一日お使いになってみて、お気に召されましたらまた後日いらっしゃってください。」



そういわれ僕は、見えないコンタクトレンズを入れたまま店を後にした。
面白いものを見つけたことを早く彼女に教えたくて、僕は急いで地下鉄へ飛び乗り、息を切らせながら席に着いた。

あらためて見えないコンタクトレンズを通して世界を見渡してみる。向かい側に座っているおばさん2人が周りの迷惑も気にせず大声で話をしている。右目で見るとごく普通の光景だが、左目で見るとおばさんの口の中には、本来あるべき歯がなかった。
あのおばさん総入れ歯だな。まぁそのことに関して、僕はなにも言えないけど・・・。
今度はドア付近に立っている女性に目を向けてみた。肩から高そうなブランド物のバックを下げて、澄ました顔で外を見ている。だがもう一度左目で見てみると、本来肩から下げているはずのバックがそこにはなかった。なるほど、あのブランド物のバックはどうやら偽物らしい。



そうしていると、彼女の住んでいるマンションがある街に着き、僕は急いで彼女のところへ向かった。初めて彼女と一夜を共に出来る喜びと、面白いものを見つけた喜びで、僕はすっかり有頂天だった。そうだ、もう1つもらったコンタクトレンズを彼女にあげることにしよう。きっと喜ぶに違いない。
そして彼女部屋の前に着いた僕はチャイムを鳴らした。
部屋のドアが開き、エプロン姿の彼女がいつも以上にかわいい笑顔で僕を出迎えてくれた。



「いらっしゃい、早かったね。今ご飯を作っていたところだから、テレビでも見て待っててね。」



あれ?僕は異変に気が付いた。
両目で見つめる彼女の顔がぼやけて見える。
左目を閉じると彼女の顔ははっきり見える。そんな僕の姿を彼女は不思議そうに眺めている。



「どうしたの?」



そう言う彼女の顔を今度は左目で見てみた。
そして僕は言葉を失った。
彼女の顔には目、鼻、口からあごへのライン、そして視線を下げると胸の部分に何もないのだ。

肩を落としうつむくと、今度は彼女の股間の位置にも何もないのが分かった。



「本来ないはずの場所ですら何も見えないってことは、以前は何かあったってことか・・・ははは…。」



もう、笑うしかなかった。



以上。





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