状況なんて何一つ理解できないまま、信号の消えた道を歩いて帰った、あの日

水浸しの部屋でTVを点けて、呼吸ができなくなった。






あの人は無事か?

寒くないか?腹減ってないか?

何か困っていることはないか?

今、出来ることがあるんじゃないか?

悲しむよりも、祈るよりも、すべきことがあるんじゃないか?




自分と同じ事を他人に求める無意味さは分かってるけど、自分の無力さ故に、力があるのに使わない人に苛ついた。


明らかに自分のキャパをオーバーしてることも分かってたけど、何も行動しないなんて苦しくて、辛くて、耐えられなかった。



北野武が言ってたよ。

新聞もニュースも被災者の数ばかり見出しになっているが、震災は2万人が死んだ一つの事件じゃない。人の命は、2万分の1じゃないし、1人が死んだ事件が2万件あったんだ。

そう考えれば、震災被害の本当の重みがわかる。2万通りの死に、それぞれ身を引き裂かれる思いを感じている人たちがいて、その悲しみに今も耐えてるんだ。と。







人は腹を満たして、安心して寝られて、初めて笑える。

あの時、差し出した気持ちの対価は未だに生活に影響しているし、きっとこの先もずっと続くけど

3年たった今も、後悔だけはしていないよ。




頑張れ、東北。ではなく

頑張ろう、日本。でもなく。


まだ、この世界で胸張って生きたいから

頑張るぜ、俺。で行くよ。