先週の11月13日午前7時46分
母の必死な看病と治療虚しく
義父が肉体を脱ぎ捨て
自由になりました。

体調不良を訴え始めてから約2ヶ月くらい
胃ガンステージ4、
肝臓8割に癌転移と判明してから一ヶ月と少しでした。

昨年の健康診断は
少し血圧が高いだけで健康体だったのに。


義父が5才の時、
離婚し、離れて暮らしていた強欲の父親に
養育費を払いたくないからと誘拐され、
実の母親から引き離されました。

連れ去られたあとは地獄です。
継母に邪魔にされ、虐待され続け、
中学卒業後は、自分で働きながら高校に通いますが、
そのお金も全て継母に奪い続けられました。

幼少期から食事も作ってもらえず、
与えられるのは菓子パン。
家庭で覚えるありとあらゆる教養や愛情は与えられずに育ったそうです。

十代最後の頃、
自分の本当の母親はどんな人なのか、
プレゼントに草履を持って、
探し出して会いに行ったのだそうです。

当の実母は
5才の大切な息子が、
買い出しに行った数分の間にいなくなり、
慌てて探しますが、父親が連れ去ったと解ります。

自分たちと一緒にいても、
母子家庭で辛い思いを沢山させてしまう。
誘拐してまで連れ去ったのだから、
幸せに大切にされて暮らしていると
信じて疑っていなかったそうです。

その息子が、
十代最後の頃に自分を探しだして会いに来てくれた
しかも、プレゼントの草履を持って。

とてもとても喜んだそうです。
貰った草履は宝物になり、
一度も履くことはなく、しまいこんでいたのだそうです。

それと同時に知った息子の地獄に、
どれだけ心をいため、泣いたことでしょう。

義父の地獄は、もちろん
これだけではありません。
こんなもんではありません。

実の父親と継母により、
日常的にバカにされ続けたために自信は皆無。

精神的に、
常に追い詰められた状態でした。

NOを言えない精神状態。

結婚すら、
継母が義父の稼ぎを自由に出来る自分の知り合いとさせようと手を回し続けたそうです。

どこまで自分勝手で強欲なのでしょう。

義父の実父が病に倒れて看護し続けたのも、
亡くなって葬儀の準備をしたのも、
私の母と義父でした。

健康でぴんぴんしている継母は
お金は一切出さず、病院に顔を足すこともせず
お金の勘定だけをしていたそうです。

もちろん葬儀にも不参加。

義父は、死んだあとに物凄い後悔して
泣いてひれ伏し、義父に謝っていたそうです。
そして継母に対しては、
これほど酷い女だとは思っていなかったと。

死んで全てを理解して、土下座して謝罪。
何が変わると言うのでしょうね。

義父は、謝ってくれたなら、
もうそれで良いと、許していました。

なんて心の広い人なのでしょう。
私だったら許せるだろうか。

あ、もちろん義父の葬儀にも不参加です。
自分の娘に言付けを言いつけて。

言付けなんだと思います?

『鍵とお父さんの印鑑と通帳を返してもらえ』

です。

鍵とは、義父の実父が亡くなった時に
名義が半々になった遺産のひとつである家の鍵。

通帳と印鑑とは、義父の実父が
自分の介護にかかるお金を用立てたもの。

意味解ります?
私は聞いた瞬間に、真っ白になりました。
意味、全く解りませんでした。

□□

母とは、十代の頃に職場が近かったことで
知り合っており、
お互いに初恋の相手だったそうです。
30数年ぶりに会ったその場に居合わせたのは私でした。

なんて寂しい目をした人なのだろう。
なんて幸の薄い人なのだろう。

そう思うと同時に、

この人の娘に生まれてきていたら、
違った人生だったのに。

そう思いました。
なんにも感じないしわからないという姉も、
義父に会ったとき

この人が父親だったら人生違ったのに。

と思ったのだと、
葬儀の準備をしているときに言っていました。

そうなんです。
この義父は、
本当は私たち姉弟の父と定められた人でした。

それが、義父の強欲な継母により
ねじ曲げられてしまったのです。

お金の邪気で動いている強欲継母。
人の人生の青焼図を狂わせ、幸せを奪う。

一体何人の幸せを奪ったのでしょう。
一体何人の人生を変更させたのてしょう。

最悪なこの人は、簡単に死ぬことは叶わず、
死んだあとも苦しみ続けることでしょう。

しかし、死んでから気が付いて義父に謝ったら
義父は許してしまうのだろうなと思うと切ないです。


義父の最後の20年弱が母と共にあり、
子供の愛で方も知らなかった義父。

可愛いなと、いつも眺めているだけで
子供からのお誘いも断っていた義父が
昨年初めて、
私の息子と娘と一緒に遊んでくれました。

綺麗なオーラを放っていました。

知らなかった、人との愛情の交わし方、
人との繋がりなど、
母と暮らした年月で、全てを経験し、
自分の人生これからだと笑顔を見せてくれていた義父。


亡くなったと一報を貰って、
すぐに準備してその日の内に家族四人で
義父のところへ向かいました。

先週の金曜から今週の水曜日まで
お兄ちゃんには学校を
お相手には会社を休んでもらい
母の傍らにいて、雑務をこなしてきました。

一ヶ月ちょい介護していた母は、
胃ガンで食事が取れなくなっていく義父と
同じ食生活を送っていたし、
睡眠もほとんどとる暇がなかったので、
かなりやつれていました。

お悔やみに来てくださる人がとにかく多くて
私は顔と名前が一致しないので、
母のお弟子さんに協力してもらいながら。

母は気力だけで動いている感じでした。

葬儀の準備をしているとき
助けられなかったと泣く母に、
これは寿命だったと伝えてきてくれた義父。

それを母に伝えたり、
義父の魂が今どこにいるかとか、
私だから出来ることと、
娘だからこそしなくてはいけない雑務をこなしてきました。

お相手も、葬儀の手伝いを積極的にしてくれたし
お兄ちゃんも娘もとても良い子にしていてくれたので、
母と義父のことを中心に動くことが出来たこと、
感謝しかありません。
本当にありがたかったです。


義父は母と出会う前は地獄だったと。
しかし、母と出会ったときに

『この人だ!この人しかいない!
俺が幸せになれる!』

と、プロポーズに至る話をしてくれた
笑顔の義父を思い出すにつけ

義父が母に最期に伝えてくれた

『良い人生だった。ありがとう。』

という言葉は、
心の底からわいて出てきた言葉だったのだと
強く思えます。


今世、大変な人生でした。
経験した人しか解らないこと。
それを乗りきって66年間、
本当にお疲れさまでした。

まだしばらくはこちらに残るそうですが、
一先ず言わせてください。

光が見えたら、迷わずそちらに向かって下さいね。
もうしばらくは母の傍らに。

義父から貰った沢山の愛情を
今度は子供たちに返していこうと思います。