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相変わらず、毎週金曜日に
南三陸町での復興活動のお手伝いに入っています(・∀・)

先週末はじめて帰路をギブアップし福島に1泊中継した
(いつもは毎週日曜日深夜に都内に帰宅)
現地に行くと話す事とか、分かち合う事がいっぱいで
寝不足になる(笑)
もちろん私の自由意志です(・ω・)/

福島のホテルには室内にマスクがおいてありました
なんか、切ない

最近の南三陸町での過ごし方は、以前に比べると緩やか
直接多くのボランティアさんと接触する機会が減ったからだと思う
以前は受付と言う名の前線にいたんだけど
今は本部のコンテナの中で会計とか申請書類関係とかサイトとか
プレゼン資料作りとか
内部のスタッフとのコミュニケーション中心なので
一人で役割と思う事を、勝手にたんたんとやっている感じ
前線から指揮所サポートに鞍替えしたことで
外部要因が物理的に減って、緩みをもててるんだと思う


町内の様子も、だいぶ変わってきて
いよいよ目に見える復興が始まるんだなって感じる

私が「秘書」という愛称(?)でお手伝いしているのは
先月できたばかりの社団法人
新設ですが南三陸町災害VCに一番深く関わっている人々が結成し設立した
濃ぃ~団体です

南三陸町災害VCに関わる長期運営サポーターは
実はみな遠方の人が多い
...という事に今日気がついた

沖縄・鹿児島・香川・三重....
遠方なひと程、数日で帰る気では来ていないという事でしょうか?

社協の運営する災害VCサポートに団体として入っているのは
主に2つ
他にも関わっている団体は多くありますが
本部から要請が公式にあったのはこの2つだと思う
そう聞いてる

わたしの活動は、2つのうちの一つの団体の災害派遣からスタートしたんだけど
団体の組むスケジュールでの活動が条件的に難しくなったので
個人で引き続き行ってたら、もう一つの新設団体の「自称」美人秘書になっていた
...というわけです

長期的に関わっている個人レベルのアクターは本当に数える程度

横浜発で前線(受付)を守る2人のスタッフ
鹿児島発の元空自の片付け隊リーダー
(隊の中にも長期の方が2~3人いて三重県発のサブリーダーなどが活躍してます)
沖縄発の団体代表のおにーちゃん
横浜発会社休職中で活動のスタッフ
香川発で避難所リーダーとして活躍したボランティア
写真洗浄を切り盛りする東京発の奥さん

私が知る主要なアクターはこんなものです
(知らない存在がまだいるのかもですが。すいません。)
長期運営サポートに関わる主要アクターは9人!

たったの9人ヽ(゜▽ ゜)ノ
うそじゃない。本当です。

だけど、前にも書いたけど
人数を単純に増やすという対応では意味がない
この9人=必要な能力をもった人的リソース
継続的に活動できなければ
運営サポートが難しい

ぶっちゃけみんな手出しでやっていたのが現状
議員が何人来ようが
報道がバンバン来ようが
NPOがどんだけ挨拶に来ようが
あまり変わりはない....

むしろボランティアできた個人や中小企業の方が
義援金などをおいていってくれたりする事の方が多い気がする
もちろんボラセンへの義援金なので
それら手出しで踏ん張っているアクターには全く関係ない

でも、それでは個人の限界に街の復興をゆだねる事になる
無論、それに対して何も策を報じない訳ではないが
あたりまえだけど、そういうアクターはお金の事なんて申し出ないし
誰かが気づくまで放置される

そういうとことも見逃さないのは大事だと思う
そういう組織構成を理解してない支援は
結局持続可能性はない
地元の人に多くの犠牲が出たという事から考えれば
この組織構成は当たり前の事だ
(それにしても遠方者が多い!)

本部に挨拶に来て名刺をおいていく人々
先週名刺の整理をしながら
正直「足しにならんなー。」としか思えなかった
失礼かもしれないが今のところはまだ事実
みんな何がしたくて挨拶にきてるのかなー?
謎。

という状況を眺めながら、被災地での業務を続けています


今日は何が書きたかったのか不明だが
とにかく、長期の部分に関しては
少人数のアクター&少人数の町の関係職員の踏ん張り
たったそれだけで災害ボラセンなんとかしてるんだって事を
もっと「支援したい」と申し出る人々に理解してもらいたいなと
個人的に思っただけ

近ブロの社協だって7日のスケジュールから今は9日間クールに変えたんだから
長い期間で入る人の重要さは言うまでもない



来週は泣く子も黙る学期末試験だよ