お早うございます、祐尚和尚です。この時期、豆に着替えて下さい、風邪を引くと後までこたえます。

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大乗仏教では《一切衆生悉有仏性》といって全ての人びと(他の動物をも含む)は、
仏となるべき性質や能力としての仏性を具えている。とする。

菩薩(ぼさつ)とは、菩提薩埵(ぼだいさった)Bodhi-Sattvaを簡略したもの。
又、菩薩は覚有情(かくうじょう)或いは開士(かいし)とも訳される。
菩提(ぼだい)Bodhiが覚(さとり)、薩埵(さった)Sattvaが
有情(衆生あるいは含識)=さとり(覚)を求めている者であって他をさとらせる(覚らせる)者の
意味も含む=【自覚覚他】とされる。
( 自覚覚他=菩薩は長い修行期間中、波羅蜜などの善行を修する。)

輪廻(りんね)Samsaraとは、『生死(しょうじ)ともいい迷いの凡夫(ぼんぷ=我々を意味する)の状態
にある間は、善悪の業報に支配されて、善業を成した者は、その報いとして天上や人間などの
善趣(ぜんしゅ)=善道に生まれて福楽を受ける。
悪業を犯した者は、その報いとして地獄・餓鬼・畜生などの悪趣=悪道に生まれて痛苦を受ける。

天上界・人間界・地獄界・餓鬼界・畜生界・修羅(阿修羅)界の六道に生死輪廻する。』


涅槃(ねはん)とは『Nirvana=Nibbanaの音訳で寂(じゃく)・寂滅(じゃくめつ)とも訳す。
仏教以前には、これを不死Amrta=Amata(甘露)とも言った。
生死輪廻を超えた理想の状態を指す。』
涅槃とは『貪欲(どんよく)=むさぼり・瞋恚(しんい)=いかり・愚痴(ぐち)=おろかさ等の一切の煩悩が
滅尽(消滅)したことであってNIR-VANA(吹き消す)すなわち、一切の煩悩の火を吹き消すこと、或いは、一切の煩悩の火が吹き消された状態を指す。つまり、最高の境地である。』



業報思想(ごっぽうしそう)

声聞の教えによれば、最高の悟りを得た阿羅漢は、輪廻の苦界を脱し、無苦安穏の理想の
涅槃の世界に到達する事を最後の目的とする。しかも、この理想涅槃の界の最高は、無余涅槃
といって、肉体の死後に得られ、輪廻を脱した状態とされる。それは、あくまでも業報輪廻の
因果を問題として輪廻の苦を離れて涅槃の楽を得る事を目的とする。
それでいて、自己一身を問題としている。

願行思想(がんぎょうしそう)は、

『上の業報思想に対して大乗菩薩の修行は、菩提心をおこした最初から

自未得度先度他=自ら、未だわたらざるに先に他をわたす(度す)。という誓願を含むものである。
小乗のように生死輪廻の苦を厭い(いとい)、不死涅槃の楽を欣う(ねがう)ということは、全くなく
苦楽や業報輪廻は念頭になく、苦を避けるどころか、苦しんでいる人びとを救済すべく、自ら求めて悪趣苦界に赴き、苦題、苦難をかってでる。
そこには、苦楽も輪廻も問題でなく、衆生済度という菩薩の願行(菩薩の行為)があるのみである。
それらは、自主自律的なものであって、業報苦楽によって右往左往される他律的なものとは
区別されなければならないのである。』


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仏陀以前、以後でも、僧侶に限らず、普通に暮らしている人びとでも多い少ないがあるが生きる事は、大変な努力、忍耐がつきまといます。いい事をすれば、心が晴ればれになります。
悪趣の世界で、善趣を捜す事じたいが難しいかも知れません。
前世より、人はいろんな経験値をもって今世に生まれ変わっています。
今、一度、あなた自身の直感が上手く前に進むと思います。
人に対する思いやりが一番かも知れません。

何も無い池に小石を投げると水面に輪が生まれます。人生はこれかも、あなた次第で輪が広がるかも

知れません。


長々と読んで頂き、ありがとうございます。


🙏合掌、感謝します。光明真言、、、、、、二十一遍。