こんにちは、祐尚です。あと一週間を切りました。関西地方の昨日の雨は、凄かった。北陸、新潟、東北などは、雨から雪に。一年間の皆のストレスを浄化しました。リセットで楽しくなる年末年始をお過ごしくださいまし。




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初期・中期・後期の大乗仏教は、機会あるごとに中央アジア或いは南方海路を経て1世紀頃から中国に伝えられ、その後千有余年に渡って経典類は、漢訳されていた。又、七世紀頃からインドの仏教滅亡の頃まで数百年間に渡ってインドの仏教や仏典は、チベット(西蔵)に輸入翻訳された。ジャワ・スマトラ・ボルネオなどの南海地方へも四世紀〜五世紀ごろからインド本土の仏教が伝えられ隆盛を極めた。中国の仏教は、さらに、朝鮮半島や日本にも伝播し今日に及び、又、チベットのラマ教は、蒙古、満州(東北省)へも伝わった。

《文献》後期の大乗仏教としては、大日経(だいにち)・金剛頂(こんごうちょう)経・蘇悉地(そしつじ)経をはじめ、種々の真言陀羅尼(しんごんだらに)や儀軌(ぎき)の類があり、これらは、かなり多くの漢訳がされたが、チベット語には、漢訳にない多くの密教文献が翻訳されている。チベット仏教としてのラマ教は、密教系の仏教であるから、インドの後期大乗仏教の研究のためには、チベット訳の文献は、最も重要なものである。



後期大乗仏教…………七世紀頃〜十三世紀初頭に仏教がインド本土で滅亡するまでの仏教を指す。
中期の大乗仏教が哲学理論やその注釈的な専門化に陥り民衆の信仰実践面での指導を怠るようになったので、これを宗教活動へ復帰させようととして起こったのが、後期大乗仏教である。ここでは、中期の学問的なものを保持しつつ、しかも、それを理解しやすくするために
象徴によって表現し、もって仏教の理想を実現させようとした。当時のインド一般の風潮として
象徴主義のタントラ文学が行われていた為に仏教もこの風潮に従って象徴主義的な後期仏教となった。これを【真言密教】という。
《真言密教》………手に印契(いんけい)を結び【身密】・口に真言を唱える【語密】・心に仏や
その象徴としての種子(略符号)念ずる【意密】の【三密】によって、仏教理想を実現させようとするもの。これらは、象徴によって仏教の高遠な哲学思想を平易に示したものであるから、当時の仏教の本拠地であった、東部インド地方で、新鮮な仏教として爆発的に流行をした。
しかし、やがて、この密教も堕落した民間信仰と融合して仏教の正しい理想が失われて仏教ならざるもの転落した、このころ他方では、仏教は、ヒンズー教やイスラム教からの圧迫や攻撃を受けて、仏教は、インド本土から姿を消すようになった。この間、中国本土では、インド仏教の漢訳も終わっていた。遣唐使に選べし、最澄や弘法大師空海の出番となる。江戸時代に入り、真言密教も立川流が入り民間でドロドロになった一面もある。巷で肥っている坊さんもこの類に属すのでご用心、ご用心。



🙏合掌、感謝。
オン アボキャ ベイロシャノウ マカボダラマニ ハンドマ ジンバラ ハラバリタヤ ウン、、、七遍。

ーーーーーーーー 光明真言。ーーーーーーー