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なお、今回の大雨による被害に遭われた方に、心よりお見舞い申し上げます。

 

 

さて今回は、国立新美術館で開催されておりました「ミュシャ展」のレポートをさせていただきたい、と思います。

 

今回のミュシャ展ですが、正式には「国立新美術館開館10周年 チェコ文化年事業 ミュシャ展」と言います。

 

そして、このミュシャ展ですが、開催が決定した直後から随分と話題を呼んでいましたね。

と言いますのも、個人的な話ですが、今回のミュシャ展については開催を待ち焦がれていた人が、周囲に何人もいたほどだからなんです。

 

このように、ミュシャと言うのは、他の美術展に行かない人でも足を運ぶ、と言うくらいの人のようですね。

つまり、それくらい人気のある人だと言う事が言えると思います。

 

そういう意味でも、「大エルミタージュ美術館展」と並んで、今年上半期の最大の美術展だったと言っても過言ではないでしょう。

 

 

では、ミュシャ展で展示されていた作品を紹介しつつ、ミュシャの生涯を追って行く事にしましょう。

 

ミュシャは、正式な名前を「アルフォンス・マリア・ムハ」と言います。

「ミュシャ」と言うのはフランス語読みで、「ムハ」と言うのは彼の故郷チェコの発音になります。

 

この事からお分かりのように、彼はチェコ人であり、チェコ人と言う事は、スラブ民族であると言う事です。

ですので、今回のミュシャ展のタイトルにチェコの名前があるのです。

なお、スラブ民族と言うのは、ハンガリーを除く東ヨーロッパからロシアにかけて、広く住んでいる人達の事です。

 

彼がチェコ人でありスラブ民族である、と言う事は、彼の作品を理解する上で必要欠くべからざる要素であり、今回の展示のカギでもあります。

 

さて、ミュシャはパリの美術学校に通っていましたが、挿絵などで生計を立てるなど画家としての活躍の場はほとんどなく、その生活は苦しいものでした。

 

そんなミュシャに転機が訪れたのが、舞台女優サラ・ベルナールとの出会いでした。

↑上の作品は、1896年にミュシャが描いたサラ・ベルナールです。

作品タイトルは、ずばり「サラ・ベルナール」です。

 

サラ・ベルナールは、19世紀後半から20世紀にかけて活躍したフランスを代表する舞台女優です。

1870年代から、彼女は本格的に舞台での活動を開始します。

主に、悲劇を中心とした舞台だったと言います。

 

そして、自分が主役を務める舞台「ジスモンダ」のポスターを描いてくれる人を探している時に巡り合ったのが、ミュシャだったのです。

↑上の作品が、その「ジスモンダ」のポスターになります。

1895年の作品で、タイトルもやはり「ジスモンダ」です。

 

2人の出会いは、全くの偶然でした。

と言うのは、サラ・ベルナールがこの舞台のポスターを描いてくれる人を探していた時、クリスマスであったため目星を付けていた画家が皆出払っていて、当時全く無名だったミュシャに頼む事になったのです。

 

しかし、ミュシャの描いたポスターはベルナールの気に入るところとなり、その後6年間ミュシャはポスターを描き続ける事になります。

そして、その事によってミュシャの名声も、一挙に高まったのでした。

 

さらにもう一つ忘れてならないのは、このミュシャの作品はリトグラフで描かれたため、一般に流通しやすかった、と言う事です。

 

ミュシャはその後も、1897年美しい花に囲まれた女性を描いた「四つの花」を発表します。

↓下の4枚の作品が、この「四つの花」になります。

↑この「四つの花」ですが、上から順に「カーネーション」「ユリ」「バラ」「アイリス」になります。

 

この4枚の作品、いずれも女性が花に囲まれた、とても美しい物になっています。

そして、背後には円形や幾何学模様などが描かれ、また植物などが見られるのも特徴です。

 

これこそが、ミュシャの初期の作品の大きな要素であり、かつまたアール・ヌーボーを代表する画家、と言われる所以です。

 

↓さらに、1898年には「四芸術」を発表しています。

↑この「四芸術」は、ご覧のように、上から順に「詩」「ダンス」「絵画」「音楽」になります。

 

これらは、いずれもミュシャが捉えた「詩」「ダンス」「絵画」「音楽」を絵画的に表現した物になります。

ここに、ミュシャの感性と表現力が如実に現れている、と言えると思います。

 

そして、この延長線上にある作品が、1904年に描かれた「クオ・ヴァディス」だと思います。↓

この作品は、聖書「ヨハネによる福音書」から題材を取った、と言われています。

 

しかし、周囲の模様や女性の曲線的な優美さなどは、いかにもミュシャらしい特徴が出ています。

初期のミュシャの真骨頂とも言えるでしょう。

 

そんなミュシャでしたが、やがて自分がチェコ人であり、スラブ民族である事の誇りに目覚めて行きます。

そして描かれたのが、一連の「スラブ抒情詩」であり、今回の展示の目玉とされる作品の数々です。

 

それでは、次にその作品を見て行く事にしましょう。

上から順番に、「原故郷のスラブ民族」「東ローマ皇帝として戴冠するセルビア皇帝ステファン・ドゥシャン」「フス派の王、ポジェブラディとクンシュタートのイジー」「イヴァンチツェの兄弟団学校」になります。

描かれたのは、1912年、1923年、1923年、1914年です。

 

今回のミュシャ展では、これら一連の「スラブの叙事詩」と呼ばれる作品20点全てが一挙に公開されました。

20点全ての作品がミュシャの故郷チェコ以外で公開されるのは、今回が初めてで、それが今回の目玉と言う事になるのです。

 

そして、これらの作品はいずれもとても大きいのが特徴で、「原故郷のスラブ民族」が610㎝×810㎝、「東ローマ皇帝として戴冠するセルビア皇帝ステファン・ドゥシャン」が405㎝×480㎝、「フス派の王、ポジェブラディとクンシュタートのイジー」が405㎝×480㎝、「イヴァンチツェの兄弟団学校」が610㎝×810㎝等々になります。

 

さらに言うと、一般的な美術展では、その画家の生涯を追って作品が展示されるのが普通ですが、今回のミュシャ展ではこの「スラブの叙事詩」と呼ばれる一連の作品が、最初にドーンと展示されていました。

ですので、いきなりで不意を突かれた上に、作品の大きさと素晴らしさの相乗効果で、とても感動を覚えました。

 

特に、一番最初に「原故郷のスラブ民族」を見たのですが、戦争に対する恐怖心が登場人物の目に鋭く描かれていて、素晴らしいと思いました。

 

ところで、このように大きな作品をどうやって運び込んだか、気になるところだと思いますが、何と絨毯(じゅうたん)のように円筒形に丸め、厳重に梱包して運んだようです。

そして、美術館に着いてから慎重にバラして展示したようなんですね。

 

さて、下の作品は「スラブの民族衣装を着た少女」で、1911年に描かれています。↓

この作品は、「スラブ叙事詩のための習作」とあります。

 

ですので、このようにミュシャの故郷への思いはつのっていた事が分かると思います。

ミュシャが長い時間をかけて準備をしていた事が分かる一作として、この作品を取り上げてみました。

 

ミュシャは、その後切手や紙幣のデザインやチェコのお祭りのポスターのデザインなど、いわゆる公の機関から委託を受けた仕事を多くこなしています。

ですので、経済的には安定していた事がうかがえます。

 

しかし、自分が一番情熱を注いだ一連の「スラブ抒情詩」は、あまり評価されませんでした。

確かに、時代はフォービズム、キュビズム、シュルレアリスムへと流れていました。

ただ、今回の展示で実際にその作品を目の当たりにして見ると、そんな評価は吹っ飛んでしまうほど、感動的な作品だった事は確かです。

 

 

なおミュシャ展ですが、4年前の2013年にも、東京・六本木の森アーツ・センター・ギャラリーで開催されておりまして、その時も足を運ばせていただいております。

そして、これは現在、自分がこのアメブロのアイコンに使わせていただいております写真なんですが、この写真実はこの2013年のミュシャ展の時の看板なんです。

 

さらに言うと、このミュシャ展に行かせていただいたのが、2013年5月1日で、このアメブロを書かせていただくようになったのが、2013年の5月3日なんですね。

他にも、いろいろな意味でこの時のミュシャ展は、大きな転機になりました。

ですので、そういう意味でも、ミュシャ展と言うと、個人的に感慨深いものがあります。

 

 

なお、国立新美術館のTwitterを拝見させていただくと、今回のこのミュシャ展、かなり混んでいたようですね。

人気の程がうかがえます。

 

そして最後に、大阪・堺市にあります「アルフォンス・ミュシャ館」のリンクを貼らせていただきますね。

https://mucha.sakai-bunshin.com/

 

 

さて、今回も長くなってしまいましたが、最後までお読みくださいまして、有難うございました。(^◇^)

 

 

P.S

個人的な話で申し訳ありませんが、先日誕生日だったのですが、その日にアメーバさんからプレゼントをいただきました。

この場をお借りして、お礼申し上げます。

有難うございました。

 

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