何であのグループの友達だけ妙に緊張してしまうんだろう?

社会人然としている人が怖い私。



きちんとしなければ、立派な意見を持って

根拠のある言葉、勉強したと分かる知識、

裏付けのある自信、批判に屈しない心

認めてもらえるだけの実力、たゆまぬ努力



批判されぬように

怒られぬように

心を叩き潰されぬように

いつも毅然とした態度で

理路整然と

必死になって自分を保たなければ。




認めて貰わねば。

十分だと思わせねば。

私は頑張っているって、努力をしているんだって、

たくさんの言葉で、示さなければ。




そうしないと、怒られて、潰されてしまうんだ。




辛い思いをたくさんする。

あの怒った恐ろしい顔と、恐ろしい声を

全てを否定するあの言葉を

逃げられない場所で、浴びせられるんだ。


逃げても逃げても、音が気配が追って来る。

私にはもうどこにも行けない。



そうそれは反射的に、私の心が必死に自分を守ろうとすること。

表情は強張り、言葉は抑揚を失い、

意見に意見をぶつけ、まともそうに振る舞い、

全て自分を攻撃するものから自分を守ろうとする、私の防御の心。



間違ってもいい。

頼りなくても、無知でも、下手くそでも

無意味でも、無駄でも、的外れでも

遠回りでも、何もしなくても

遊んでも、楽しんでも、

「それでもいい」

そんな風に言われたかった、私が泣いているだけなんだ。




そうか、とてもとても、怖かったんだ。

とにかく私の努力を、やって来た道のりを、必死の思いを、

「そんなもの」と思われることが

この世の何よりも、怖かったんだ。



みんなは私を排除しようとしていたんじゃない。

みんなは私に優しくしようとしてくれていただけなんだ。

かける言葉が見つからないのは

私が喋ると静かになってしまうのは

私を傷つけないようにする為だったんだ。



怖い怖い、「社会人」という怪物を、

重ね合わせて見ていたのは私だった。

みんなの好意を、自然な言葉を

歪曲して取っていたのは私だった。


優しい無関心と、出来るだけの気遣いを

私にくれていただけだった。



みんな怖い怪物じゃない。

確かに、社会に出て揉まれて過ごすうち

強く排他的に頑なになる人もいるけど、

そんな中でも「普通」に接する

私の「対等」な友達だった。



理由などいらない、意見などいらない

まともでなくていい、どんな私でもいい。

できなくてもいい、どんなことを言ったって

どんなにダメだって、かまわない。


ただ「私」は「私」。

そこに在る。

それでただ、みんなはそばにいて

それだけなんだよ。

ほんとにただそれだけなんだ。




だから、何も不安がることはない。

何も怖がることも、遠慮することもない。

気になんてしなくていい、きっと分かってくれてる。

もっと信頼していいんだ、友達なんだから。



あの人とは、全てが違うのだから。



拭えぬ怖さは、取り繕ってしまう必死さは

どうしたってふいに私を守ろうとするけど、

いいんだ、それも仕方ないこと。

大丈夫、みんな分かってくれる。

大丈夫、私のままでいい。

飾らなくても、見栄を張らなくても

虚勢を張って毅然として

不安を押し殺さなくても


きっともういいんだ。