最近の私は他人の事やお金の事ばかりだ。




他人の事など放っておけばいいのに

ゲームの中での人間関係だというの

どうにも執着してしまっている気がする。



それだけ彼ら彼女らからはたくさんの気持ちや

楽しい時間を受け取って来て

たくさん救われた思いになったからだろう。




遊ぶうち、相手の素性が見えて来た。

どんな事をしている人か、どれくらいの年齢か、

どんな事が好きで、どんな風に楽しむ人か。

人となりが見えてくる事で、ますます情は移っていく。



名も知らぬ者同士、匿名の世界。

その中でふいに出会えて、

時間をこれだけ共有出来た事に

これ以上ない喜びを感じると共に、

生々しい、心の動きも浮き彫りになっていく。



それは温かいものも沢山ありながら

やはり冷たかったり刺々しかったり、

不安定だったり嫌悪感だったり、

そういう面もみるようになったりして。




上手くやりたい、でも上手くやれない

ゲームなのに、でもゲームだからこそ。

共に過ごす人達の中で何かがあって

それに折り合いをつけようと思うのは自然ではないか。



それだけ相手に誠実であろうという気持ちがある証拠なのだろう。

愛着が湧いてしまったんだ。

そこは仕方ない、自分なりの線を引いて無理のない範囲で楽しもう。






お金の事は結構しぶとい。

自分の今後の為だと思い、必死に頑張ろうとするも

どうしても意識が始めから抵抗してしまって、

取り組む事に途方もなく時間がかかってしまう。



こんな事考えたくない。

事務処理や資産の事、将来の貯蓄など

経済的な部分に頭を働かせるだけで

必要のない緊張と抵抗が己に走るのがわかる。




これまでの父の在り方が

こういった事全般への強いストレスの原因になっていることはわかる。

経済的な事を考え行うこと、

すなわち父と関わること、だからだ。



威圧的でせっかちな為にすぐ苛立ち、

最後まで人の話を聞かず遮り、

己の理論を押し付けてそれだけに従わせようとする。



相手の考えは稚拙だと取り合わず、

相手の気持ちには気付かず都合よく働かせ、

何かあれば人格を攻撃するような

その不快な父の姿がよぎり


強い緊張や不安感を抱かせ、

気がつくと無意識に手が震えていたりするのだ。




でも、経済面がある程度すっきりしないと

私はカウンセリングに着手する事が出来ない。

それはお金の事にいますぐ取り組まなければまずいという事ではなく、

自分の中で折り合いがつかないと

カウンセリングに集中する事が出来そうにないのだ。



早く雑念を払いたい。

その為には何とか良いところまで

家計や資産について考案し、サイクルを作らなければ。


そこさえはっきりしてくれば

自然にまたカウンセリングへの意欲も

湧いてくるに違いない。





己の在り方を問い、

己の立ち位置を決め、

己の中の線を引き、

己をよく律し大切にして、

少しでも前へ、進みたい。