ずっとSNSで相談を聞いていた。

一友人として、誠実に答えてあげていた。



相手はあまり人に相談した事がなかったらしい。

同じ事を繰り返し繰り返し、

同じ気持ちを繰り返し繰り返し、

私に吐き出して来た。



事の成り行きを整理してあげた。

頭がすっきりして色々な気付きが得られると喜んでくれた。



ずっと、ずっと同じ暗くて辛い話を

事細かに語られた。

尋ねていない事まで一方的に話して

いつも続けざまの長文で画面が埋まっていた。



よくよく考えて返事をした。

アドバイスもした。意見も言った。

響いたものは受け取られたが、

それ以外の部分、私の感じでいる事は受け取られなかった。



あんなに何度も何度も辛かった思いを

生々しい表現で吐露され続けると

こちらまで疲弊してしまう。

君の送る長文で

画面の向こうの私は疲れ切ってしまう。



感謝を伝えるために、なお長文を送ってくる。

私は疲れている。

半ば義務感のような、

あとちょっとで話が終わるだろうという望みで

話を聞いている事など気遣うことなく

どんどん話す。




これはエゴだ。

己の恨み辛みを吐き出したいだけの。

これでは私はゴミ箱だ。

ボランティアでやっている訳ではないのに。


受け取る側の気持ちを考えていないのは自分もじゃないか。

相手がどういうコンディションで受け取るか

無理させてしまわないか

思い至る事はないのだろうか。


いい加減腹が立つ。




放っておく事が出来ないのだ。

相手の事を、弱っている人を。

お世話を自分で買って出て、

勝手に傷付いているのだ。


それで「辛い」と言われた所で

一体何を言えばいいというのか。



辛い思いに自ら飛び込んでいるのはお前だ。

その辛さに、苦労に

知らず酔いしれているのにまだ気付かないのか。


「弱きに手を差し伸べる私」

「それなのに可哀想な目に遭う私」

「それでも健気に頑張る私」

それに陶酔する様が目に浮かび

気のせいだと思っていた違和感は大きく膨らむ。




…そして気付けば、私も入り込んでいるのだ。

見放さずにいるのだ。

「助けてくれ」と一方的な思いだけで

手を伸ばして来る人を。



見分けられずにいるのだ。

そうやって人の情を食い物にする

卑怯な人間を。



自分のエゴの為に人を助け

聖母のような自己像に酔っている事にも気付かず

人を知らずに振り回しているという意味では

自分が悪魔のようだと言っている人と同じだというのに。






また、言われるままに話を聞いてしまった、

思いやりがあるように見せかけた

利己的な相手の話を聞いてしまった。


それは、私がずっと持って来た

「丁寧に話を聞いて欲しい」という願いを

相手に投影して話を聞いているか、

もしくは

「丁寧に聞かないと怒られる」というトラウマが

未だにクセとして出てしまうか。

きっとどちらもなんだろうな。



悔しい。

もっと早く切り上げられたのに。

こんなに頑張らなくても良かったのに。

こんなに疲れてしまう必要なんてなかったのに。


“不誠実”は時に笑顔で

時に可哀想なフリをしてやって来ると

知っていたはずなのに。



確かに相手へ返した一つ一つに

手応えを感じた事で自信にはなった。

でも

自分をコントロールしているようで

身を削ってしまったのは私もなんだ。



相手に散々言って来た事を

自分に当てはめてみたら

そっくりそのまま返って来ることに

はっと気付いた事で

目が覚めたようにこれまで相談を受けて来た自分を

やっと客観的に見て

ああ、やってしまっていたのかと

湧き上がるやり場のない怒りや悔しさや辛さややるせなさに

今ようやく自分の状況を認識する。






…そうか。

相手が辛そうにしている時

気丈に振る舞ってしまうのではダメなんだ。

自分の状態をよく理解して

相手に伝えたり

先延ばしにしたり

中止にしてもらったり

上手く切り上げる事も、大事なんだ。



相手が辛そうだからといって

自分を大切にしない事にはしたらダメなんだ。

相手が辛そうな時こそ

自分を大切にしないといけないんだ。



じゃないと

相手は何を考えているか分からない。

目的も分からない。

ペースだって重さだって分かっていない。

それだけの大荷物を背負ってやって来て

無自覚にそれを叩きつけるかもしれない。



そういう時に自分を守らないといけないんだ。

無防備な心が思いがけない所で

ダメージを受けてしまわないように。



己のエゴに振り回されないように

自分の中にしっかりとした線を引く。

ここまではオーケー、ここからはダメ。

そういう心の線を持っておく事で

どんな人が相手でもフラットな自分でいられる。



断る事に怖気付かない。

自分の利を追求する事に弱気にならない。

自分が心地よい方を選び、

無理が生じたら潔く手を引く。誰かに預ける。



これが出来て初めて私は

自分をしっかりと持ちながら

心地よい状態を保ちながら

自分のしたい事、出来る事を

全うしていけるのだ。